昼休み、自分の英語力について考えた。やはりTOEICや英検を受けるべきなのか……車を運転できないという理由でそうしたテストは敬遠してきたのだけれど、やはり「英語で日記を書いています」と訴えても他人は相手にしない。目に見える実績がないといけない。ならやはり受けるべきなのだろうな、と思い始めたのだった。それにテストを受けることは自分の実力の見極めにもつながる。自分に何が足りないか謙虚に捉え直す機会を作ってくれる。あるいは、最近参加させてもらったようなミーティングにもっと足繁く参加することも大事だなと思うようになった。「井の中の蛙大海を知らず」とも言う……恥ずかしいが、これまで心のどこかでは「自分には語学の才能がある」と信じていた。だがもちろんそれは形を変えればビッグマウスになっていたとも言えるわけで、虚心に現実に向き合い研鑽する必要を感じ始めたのだった。47歳にしてそんなことを考えるのだからいやはや、私も相当なノンキ坊主なのだった。
会社で自分の英語力が仕事として活きる機会はほとんどない。だから上司も多分私の英語についてただの変わった趣味としてしか認めていないと思う。日曜大工や釣りのような……私も、過去に自分の語学力について「こんなことしか取り柄がないのは困ったものだ」としか思っていなかった。だが、ジョブコーチの方との出会いがありその方々が英語力を積極的に評価して下さり、何とか英語力を仕事で活かせないか知恵を絞って下さっていると聞き「この取り柄を活かせないか」と悪あがきすることを試みるようになった。英語のメモを書き始めるようになり、日記も英語で書くようになり……鶴見済も言うように「デカい一発」ですべてをひっくり返すなんてことを考えてはならない。日々、着実に少しずつ環境を変えることが大きな変化につながるのだと思う。ならばまったく焦る必要なんてないわけだ。少しずつスローリーに英語力を活かせる環境を作っていきたい。
ロシアの女性から「なぜ英語で書くのですか」と質問された。さまざまな視点からこの質問には答えることができる。私は「変わった子だ」「ひねくれ者だ」と言われ続けていじめられた時期があるので、それで「自分をわかって欲しい」と思う気持ちが芽生えたのだと思う。幸いなことに今では世界中に友だちを作ることができている。MeWeやDiscordなどで、私に親身に接してくれる人がたくさんいる。ならば彼らのその友情に応えられないかと思って、小説を書くのは飽きっぽい性分もあって続かないので日記で彼らを楽しませたいと思い始めたのだった。そして2年ほどその日記が続いて今に至る。これからも日記は書き続けていきたい。つまり、上にも書いたが何ら「デカい一発」(つまり有名なブロガーになりたいとか)を夢見ているわけではないのである。もちろん読者はもっと増えたらありがたいと思っているにせよ、数字で一喜一憂するのもバカバカしい。寄せられるコメントに対して誠実に対応したいと思う。
夜、オンラインミーティングに参加する。実を言うと夕食を摂った後、うとうとしてしまいすっかり開始時刻に遅れて大恥をかいてしまった。だがその席で自分の日記について話題にしてもらえた。親身になって読んで下さる方がいる……ありがたいことだ。世の中には星の数ほどのブログが存在するが、その中から私の日記を好んで読んで下さる方がいるということは端的に奇跡のようなことだとも思う。ああ、過去にそのことがわからずアクセス数や読者数に翻弄された時期があった……炎上を狙ったことさえあったっけ。Discordの私のサーバの登録者数も100人くらいに達した。何もデーハーなこと、「ウケる」ことをしたわけでもなくただ虚心に自分の日々の記録を書いていたらこうなった。少なくとも私はこの結果/現実をそう受け取っている。つまり日々自分の流儀として努めて誠実に、眼前の現実に愚直に対応して生きることが大事なのかもしれないな、と思う。心意気としては常に「凡事徹底」……。