跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/06/26

あるネイティブ・スピーカーの方から、私の英語日記に関してミスを指摘される。もちろん正直に言えば、ミスを認めるのはなかなか難しい。通じればそれでいいのだ、というのは一種の居直りであり悪あがきだろう。アントニオ猪木は「負けを認められない奴は強くなれない」と言っている。猪木に倣って、私も自分がミスをすることを認めて虚心に受け容れないと成長しないと自分に言い聞かせなくてはならない。オードリー・タンのようなすごい人であってもミスをするのだから、と別の友だちに言われたことを思い出す。

頭と身体の関係について考えている。私はしばしば、頭で大づかみにいろいろな物事を把握しようとする。仕事をする前から、身体を動かす前から仕事の内容がどうなりうるか考え、恐怖を感じる。あるいは、「こんな仕事無意味だ」「こんな仕事は誰でもできる」とニヒリズムあるいは冷笑主義に陥る。だが、仕事をすべく身体を動かすとそうした虚無感は消え去る。恐怖も消え去り、仕事をこなすことができる。汗をかき、恥をかきながら仕事をこなすこと。そうして実際にやってみること。そうしたことを仕事から学んだように思う。

そうして身体を動かし、自分の中から湧き出てくる強い意志や力に自分の身を委ねることを、私はニーチェから学んだように思う。もちろんニーチェの思想は難解なので私はすべてをわかったわけではないが、永遠回帰の発想もここ最近「身体で」わかるようになってきた。私は哲学を好んで読むが、自分に都合のいいように読んで「利用」しているだけなのかなとも思う。専門的な研究者にはなれっこない。ただひとりのアマチュアとして、自分なりの謎を解くためにニーチェウィトゲンシュタインを「利用」する。私がやっていることはしょせんそうした我田引水だ。

選挙が近づいてきている。Twitterでも選挙に関係したツイートを目にする。私は、選挙に限らず物事に関して過度に冷笑的になることを恐れる。もちろん冷めた目で物事を観察し、熱狂から距離を置くことも大事だろう。だが、そうしてクールな目で物事を眺めながら同時に自分自身の行動に責任を負って主体的に行動を起こすこともまた大事なのだと思う。今回の選挙に関しても、選挙に行き自分なりの意見を一票に託す。「何も変わらない」「時間の無駄」と投げ出してしまわないように。日本に生きる人間として、自分なりに状況にコミットしたい。