跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/14

今朝、実を言うと酷い精神状態だった。このまま消え去りたいとさえ思った。死にたい、とも……でも、兎にも角にも朝のルーティーンを済ませる。石野卓球『KARAOKEJACK』を聴きながら、依頼されていた「ふれあい祭り」のために原稿を英訳していく。そうしていると気持ちが自然と上向いてきた。いろいろなアイデアが自分の中から沸き起こり、身体が熱を帯びてくるのを感じる。この熱を忘れないようにしようと思った。仕事をしていても、楽しくなってくると身体は熱くなる。ある意味ではこれこそが生きている証ではないかと思う。

次の日曜日に行われる発達障害をめぐるミーティングで、こんな風に自分を助けてくれる英語の力について話そうかと思った。いつも英語からは力をもらっている。DiscordやWhatsAppで英語でチャットしたり、英語でメモを書いてみたり日記を綴ったりしていると自分の中のクリエイティブ・パワーが目覚めてくるのを感じる。ジュディスさんとclubhouseで話していても、そうした力がこみ上げてくるのを感じられる。ジュディスさんも今回の「ふれあい祭り」の話のこと、喜んで下さった。いろいろな人が私の傍にいるという事実の現れだ。

過去のことを思い出す。発達障害に関するミーティングが立ち上がり、様々な方と出会い……その方々が私を促して下さったので、英語でおっかなびっくり表現するようになったのだった。逆に言えばその出会いがなければ私はまだ英語力を発揮するのをためらっていただろうなと思う。何度強調しても足りないが、私は英語が「ペラペラ」ではない。日本語でさえ会話がおぼつかないのにそんな風に「ペラペラ」に喋れるなんてことはありえない。だが、ハートで喋ることを自分に課して正直になろうとしている。それがいい方向に働いているのかもしれない。

中島義道の本を少し読む。生きていること、すなわち人生に意味はあるか。いずれ死ぬのであれば人生は無意味なのではないか。そんな問いがいつもながら鋭く問われていると思った。私は、私のこの足掻きも葛藤もすべて長い目で見れば無意味なものなのかもしれない、とは思う。だが、それでも仕事場に行けば仕事をする。セクシーな女性を見れば目が惹かれる。そんなくだらない事柄が私の心を癒やす。ならば、その「くだらない事柄」について考えることを私の哲学にしたい、と思った。この日記はそうした試みの一環である。