2022/10/29

昨日も書いたのだけれど、実を言うと前に友だちに職を変えることを相談した時に「何か語学はできないの?」と言われたことがあった。そこで私は「実を言うと、留学したこともないし語学はできない」と答えてしまった。自分の英語は通用しない、と信じ込んでいたのだった。それから時が経ち、知人に「あなたの英語はわかりやすいです」と言われたことを機に英語で日記やエッセイを書くようになった。それは今まで続いている。今の私の英語が果たしてどれくらいのレベルのものなのか、私にはわからない。だが、私の英語をめぐる旅はまだまだ続く。

情けない話だと思うのだが、今のところ私は英語を学ぶ上でゴールを決めていない。どこか未来にゴールを設定して、そこから逆算する形で学ぶ、というのは大事な学び方だと思うのだけれど私のやり方ではないな、と思う。私はただ友だちを作りたいとか、自分の暮らしを伝えたいとかそういう目的で英語を学んでいるので、日々自分のエントリを英語に訳して発表したり友だちを増やしたりすることで満足している。大きなゴールを設定する学び方ではなく、日々の小さなゴールまで走るやり方で学んでいる。それがいいことなのかどうかは議論の余地があろう。

私は決して英語がペラペラに話せるわけではない。ジュディスさんと喋る時だって、ジュディスさんは私のスローでぎこちない英語に合わせて辛抱強く聞いて下さっている。私も昔は流暢に喋ることに憧れたものだが、今ではもう自分のこのぎこちない話し方を押し出していくしかないのかなとも思っている。いつだって「しくじる時は堂々と」というモットーに則って、頭であれこれ考え込んで戦略的に話すのではなくハートが話そうとする言葉をそのまま話させている。ハートから出てくる言葉を信頼し、その言葉に頼っているのだった。

そもそもは翻訳で飯を食えればと思い(今にして思えば我ながら「ナメてるな」と思うけれど)、英文学を学ぼうと早稲田大学に入った。そして一時はポール・オースター『ムーン・パレス』を原書で読むところまで行ったものの、その後故あって人生を投げ出して酒に溺れるところまで落ちぶれてしまった。そして一念発起して断酒に踏み切り、再起を誓って英語学習に勤しむ日々が続く。乱高下が激しい人生ではあるが、いつも英語が傍にあったという意味では一貫性のある人生でもあるのかもしれない。ああ、さながらロッキー・バルボアのように今日もトレーニングに勤しむ一日を過ごす。