跳舞猫日録

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ぼくは英語学習で、中年の危機を乗り越えようと思う

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ぼくの朝はいつもスマホをチェックするところから始まる。スマートフォンに入っているWhatsAppというアプリをチェックして、海外の友だちからメッセージが入っていないかどうか調べる。チャットグループで誰か面白いことを言っているかもしれないから、いつも開くのが楽しみだ。あるいはぼくにはインドネシアに住んでおられるジュディスさんという友だちがいるので、そのジュディスさんに晴れた日の朝日を撮影して送るのが日課となっている。その後パソコンでDiscordをチェックして、こちらも誰か面白いことをメッセージで送ってきてないかとチェックする。それが終わると、ぼくは昨日書いたメモからその昨日の日記を書くことにする(このメモなのだけれど、ぼくはいつも書いている通り英語でメモを書く習慣をつけている)。そしてこのブログを読まれる人はお察しの通り、日本語と英語でそれぞれ日記を書いて(いつも日本語を先に書く)、そしてアップロードしている。

考えてみればずいぶん英語づくしの日々を送っていることになる。WhatsAppでもDiscordでも、ぼくはもっぱら英語を使って海外の人とコミュニケーションを楽しんでいる。ぼくは実を言うと大学に入った時は、翻訳で飯を食えればということも少し考えていた(いや、これは嘘で実はそんなに深く考えずただ村上春樹に憧れて翻訳をこなせる作家になりたいと思っていたのだった)。それで英文学を学ぶことに決めて学部に入り、その後4年間を特に翻訳家になるための努力もせずに過ごしてしまった。だから学生時代そんなにシリアスに英語を勉強したわけではなく、ある意味では今こそ自分が一番真剣に英語を学んでいてそんな学習を楽しんでいる時と言えるのかもしれない。幸いなことにと言うべきか、英語で日記を書くといつもネイティブの人から真っ赤に添削されてしまうのでいつも新鮮な気持ちで日記を書けるし、いくら勉強してもなくならないミスに七転八倒する楽しみというものも見い出せつつある。

ぼくは今年で47歳になるのだけれど、中年の危機というと自分にも思い当たるところがある。昨日と同じ今日が延々と続き、宮台真司が形容したところの「終わりなき日常」そのものの毎日を過ごしている……それに焦りを感じたりあるいは煮詰まってしまったりすることはぼくにもある。そんな時どうすべきなのか、ぼくだって未だによくわかっていないから処方箋/アドバイスなんて書きようがない。ただ、ひとつの策として英語を勉強する(あるいはし直す)というのも手ではないかと思うのだ。ぼくが英語を学んでいて面白く感じるのは、これは柄谷行人という批評家も言っていることなのだけれど学びの過程が精神衛生上よいということである。英語を勉強していると、昨日よりも今日、今日よりも明日……と自分自身が成長していることがわかってくる。いやもちろん、昨日今日でペラペラになれるわけなんかない。だけれども、やればやった分だけ帰ってくる。それが語学を学ぶ醍醐味だ。

そして、英語を学ぶということは自分自身の中でゲルのような塊になっている考え/思念を英語に当てはめて語ることだ。外部に確固として存在するワクの中にそのゲルをはめ込んで言葉にする。それはある種、自分自身の思考が外部に操られることであると思う。外部に操られて思考をコントロールされるということは、それだけ自分の思考の執着から解放される快感を得られることだと思う。そのようにして、自分の思考が相対化されて客体化される。その過程にこそぼくはスリルを感じるし、うまく英語を話せたら気持ちがいいとも思う。こうした理由から、ぼくは煮詰まっている人にはひとつの方策として英語学習を薦めたいと思っているんだ。誰だって最初は初心者なのだから、怖がることはない。ぼくだって「Listen」という単語を思いっきり「リステン」と発音して笑われたことがあるけれど、今では何とか英語で人とコミュニケートできるところまでたどり着いた。

英語でコミュニケートするということは、自分の殻をひとつ破るということでもある。自分なんて英語で話せるのだろうか、通じるのだろうか……といった恐れを乗り越えて英語を話すこと。それもまた、成功体験につながる。ぼくは自分自身にずっと自信を持てなかった時期が長かった。自身を持つように薦められても、どうしたら自分なんて存在に自信を持てるようになるのかわからなかったんだ。でも、英語を話していると相手がぼくを認めてくれたりぼくのジョークに笑ってくれたりすることで、ぼくの中に小さな成功体験がいくつも芽生える。それがぼくにとって自信あるいは自己肯定感のソースになってくれるようで、今ではこのぼくに自信を持てるようになった。もし自分に自信を持てない人がいたら、英語を学ぶのもひとつの手である、とはお伝えしたい。今は空前のネット社会。グローバル化はどんどん進む。そんな中、英語を学ぶことは決して単なる時間の無駄にはならないはずだと思うのだ。