跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/17 BGM: Scritti Politti - Boom! There She Was

今日は休みだった。朝、毎月参加させてもらっている「発達障害を考えるミーティング」にZOOMで参加した。そこであれこれ話をする。ぼくが話したのはここ最近つけ始めた金銭出納帳(というかこづかい帳)と、あとは前にもお話ししたシナモロールのメモアプリについてだ。恥を晒すことになるが、ぼく自身は実にちゃらんぽらんな人間なのでお金の管理もいまのところぜんぜんうまく行っておらず困っている。だけどそれについて自己嫌悪を抱いたり開き直ったりしても何の解決/成長にもつながらないので、愛用しているメモパッドと同じブランドであるニーモシネのノートを買ってそれに自分の金銭管理の記録をつけることを始めた……という話をした。他の方から「物価が高騰しているから自前で調達する昼弁当にお金がかかってしまったり、グループホームの食事の量が少なくなったりしてそれで間食が増えているのではないか」などいろいろ貴重な意見をいただく。これについてはまだつけ始めて2週間ほどなので、ずっとつけ続けて「振り返り」をして対策を練っていくことが大事かなと思った。他の方のお話としては「就労について」「仕事観について」など聞かせてもらうことができて、皆の活躍に触れられてぼくも刺激を受けた。

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その後図書館に行き、沢木耕太郎『無名』や柄谷行人『力と交換様式』を借りる。そして昼弁当を食べ、その後考えごとをする。保坂和志『言葉の外へ』を読み始め、あらためて自分自身の「知性」「賢さ」について考えてしまった。ぼくは最近ネットの知り合いから「賢いですね」と言われることがあって、でも職場ではそんなふうには扱われていないのでこのギャップに文字通りおかしくなりそうに感じている。そしてぼく自身も実を言うと、その「はざま」で揺れ動いているというのが正直なところだ。我ながら「賢い」と思う時があったりなかったりして、先に書いた他者からの評価のギャップや自分自身のそうした賢さのアンバランスさについて戸惑っている。現に今日も、ぼくはいつものように(先にも書いた、愛用している)ニーモシネのメモパッドにメモを書こうとして何から書いていいかわからず、そこで頭が真っ白になってしまい文字通りフリーズしてしまった。ぼくが明白に賢かったりAIのようなムダのない思考機械だったとしたらこんなことはなかったわけで、どう自分のことを捉えるにしてもぼくという人間がコストパフォーマンスが悪い、中古のパソコンのような人間であることだけは確かだ。そうしてあれこれ考えて、「やっとこさ」書くことを見つけてメモして……そんなふうに、ぼくは喋ったり書いたりすることについて時間を置いてゆっくり、非効率的に行ってしまう。でも、そうした「遅さ」というか「遅れ」がぼくなのだと受け取ってもらうしかない。「賢さ」の定義として(これはぼくのオリジナルな見方ではないが)「的確な正解に短時間でたどり着くこと」が考えられるけれど、ならばぼくは英語を喋る時にしたってネイティブスピーカーから見れば「遅い」はずだ(前にインドネシアのジュディスさんが「彼の英語は遅いから、あせらないでじっくり耳を傾けてあげて下さい」とぼくについて他の方に言っておられるのを聞いたことがある)。「遅い」のみならず、「無駄」だって山ほどある。「エラー」だってする……書いてきて情けなくなってきた。どう書いても難しくなるが、ふとここで「『的確な正解』がない」領域の話についてはどうなるのだろうとも思いが及ぶ。そうなると……ほら。こうしてあれこれ思考は脱線するし、そこから得られる結論だって普遍的なわかりやすい、そして誰もがうなずく類のものでもない。やっぱり「ぼくは賢くない」というのがぼくが見つめるべき「的確な正解」のようだ。でも、いまほんとうに「的確な正解」をはじき出せるAIのようなシステマティックな人と言えば誰になるのだろう。近所の1000円カットのお店で散髪をしてもらう。グループホームに戻って保坂和志の続きを読み、その後夕食を摂る。夜、保坂から脱線してハイデガー形而上学入門』や『ニーチェ』などをめくってみるも頭に入らない。脳が無駄に厳密さを要求して「こんな本を読んでも時間の無駄にしかならないのではないか」と疑い始めてしまう。そう疑い始めると、そもそもぼくにとっては読書とは「時間の無駄遣い」というか「いまは無駄でも将来的に無駄にならないかもしれない(なるかもしれない)」という、そんなこれまたコスパの悪い次元の実践なのである……そう思ってみても結局どうしようもなかったので読書はあきらめた。Discordで友だちとチャット。この友だちとは常に日本語と英語について刺激的な話題を語っている。今日も楽しい話題を語ることができた。そう考えてみると、部屋の中でハイデガーを読んで1人で孤独に(別の言い方をすれば「独りよがりに」)「哲学とは役に立つのだろうか」「現存在、『ぼくがここにいること』とは何だろう」と考えていたよりはそうして人と話せてよかったわけだ……というようなことを「あらためて」噛み締めているのだから、やっぱり自分は頭が良くないというのが正解のようだ。