跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/11/17 BGM: Morrissey - November Spawned A Monster

今日は休日だった。今朝、生活費を受け取りにグループホームの本家におもむく。そこで管理者の方とお会いし、お金を受け取ったあとかねてより気になっていたさいきんの職場での出来事について(とりわけ、暴言をまじえつつ書いてしまった昨日の出来事についてを中心に)話す。その後、正午過ぎに歯医者に行く予定があったのでしばし図書館に気分転換というかストレス発散のために行く(ぼくの住む町のイオンの中には、週末でも治療を受け付けている歯医者がある。実にありがたい)。いろいろ迷ったが直感にしたがい、再読したいと思い『男子劣化社会』という本を借りる。その後イオンに行き、治療の時間までザ・スミス時代までふくめたモリッシー綺羅星のような曲たちをあれこれ楽しんで時間をつぶすことにした。

実はぼくがモリッシーのソロキャリアを追い始めたのはついさいきん、30代かそこらになってからのことなのでまだまだおしりの青いアマちゃんにすぎない。が、そんなぼくでも(でも、やっぱりザ・スミスの方を好んでしまうものの)いまではモリッシーの曲の旨味はわかるつもりである……話が脱線しそうなので戻すと、そんなモリッシーを英語の勉強も兼ねて聴きつつメモパッドにいつもながらいろんなアイデアを英語で書きつけようと悪戦苦闘する。だが、なんらはかどらない。書こうと思っていたこととして、ぼく自身の中にあるそれこそ(なんだか「クサい」表現になるが)むくつけき男臭さ・無自覚でだからこそたちが悪いマッチョさとでも呼ぶべきものがありはしないかということがあった。

過去、ハンサムとかイケメンとか、なんにせよ「モテる」「花形」の男であった経験を1度も持たないぼく自身はずいぶんこの「男臭さ」というか「ブサイクさ」を嫌い、10代のころというのは身体が男臭く成長してくるものだから自分の「性」というもの(ぼくの場合はそれでも否応なしに女性に惹かれてしまう異性愛者であること、だが同時に当のその女性からは蛇蝎のごとく嫌われていたこと)を自覚せざるを得ず、それゆえに頭がおかしくなりそうになったものだ。でも、もっとヘンな話としていまはたくさんの女性がぼくの近くにいて、無限そのもののやさしさを示してくれる。ならば、過去に10代だったころぼくが学校で体験せざるを得なかったあのひどい日々はなんだったのか。そこではぼくは文字どおり嫌われ者・鼻つまみ者だったのだけど。

「ああ、世界は変わったのか、それともぼく自身が変わってしまったのか」(ザ・スミス「ザ・クイーン・イズ・デッド」)

歯科に行き、そこで治療をしてもらったあとたぶんにさいきんの出来事が無自覚のうちにぼくの中の精神力を削ってしまっていたせいで、昼食にカップ焼きそばを食べたあとはもうなにもやる気にならなかった。さいわいにもいまのところ喫緊の課題というか、おしりに火がついているような状態でもないのでベッドに横になりだらだら過ごす。いや、昼寝をしたあと借りた『男子劣化社会』を読もうかとも思ったものの活字が目から滑り落ちてしまい、ぜんぜん頭に入らない。だからもうしょうがないので、モリッシーの歌を筆頭にあれこれテキトーに聴き入るというかふけってしまったりしつつ時間をだらだら浪費するがままに任せたのだった。

夕食はアジフライだった。その後、またしてもやる気がかけらも出なかったものの人としてどうだろうとも思い、それこそソワソワして落ち着かなかったこともあって気散じも兼ねて月末木曜日のプレゼンテーションのための草稿を作成し始めた。実は、前まではこの発表では「インセル(海外のスラングで、日本で言うところの『非モテ』『弱者男性』的な意味に近い)」について話そうかと思ったのだけれど、内容が内容だけに自分の性をあからさまに語ることになるのでいまからだと文字どおり準備不足の感が否めないだろうとも思ったこともあって変えることにした。それでこないだ書いた英語教育の話から、英語を学ばないといけない(ひいては英語を駆使した「グローバル人材」として活躍しないといけない)というプレッシャーについて、先々月に買った光文社新書『英語ヒエラルキー』の感想をまじえて話せないかとあれこれ案を練った。

それが一段落したので、夜も更けて気分もさすがに落ち着いたということもあり『男子劣化社会』を紐解き読み始める。それで、このおもしろい本に触発されあらためて過去に自分が10代のころどんなに「男らしくあらねば」という呪縛に苦しめられたか、そして10代を過ぎても(ことによると「いまだに」!)スポーツ万能でイニシアチブを発揮できて、誰もが認めるカリスマにならなければならないとまで非現実的なプレッシャーを感じてしまったりして、でもなれるわけもなく自己嫌悪に苦しめられてそれこそ死ぬほど陰鬱な日々を過ごしてしまったことを思い出してしまった。こんなこともいずれ語れたら、と思う。

「この憎悪の陰にはたしかに存在する/狂おしいほどの愛への渇望が」(ザ・スミス「心に茨を持つ少年」)