跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/03/05 BGM: Massive Attack - Daydreaming

何度も書いてきたことなのだけれど、その昔ぼくは学校においていかなる意味でも「よい子」「いい生徒」ではありえなかった。思い出すのは十代の頃からすでにこの人生そのものに絶望していたということだ(その頃はぼくはまだ、自分が発達障害者であるということを知らなかった)。学校に通ってせっせと学んではいたのだけれど、なんでそんなことをしなければならないのか皆目わからずただむなしい思いをするばかり。ザ・スミスが名曲「Heaven Knows I'm Miserable Now」で歌うように、このナンセンスな営みのためにどうしてこの貴重な人生を費やさないといけないのだろうかと思ってしまったのだった。

早稲田を卒業したあと、20代と30代をぼくはずっと飲酒に費やしてつぶしてしまった。そのころ、未来に向けたどんな希望も捨ててしまい腐っていたことを思い出す。もう万策尽きて何もいいことなんてない、とも思ったっけ。生まれた時期が悪く、こんな田舎町にいても何もできない、とも思った(あるいはこんな発達障害者として生まれたことが不運の始まりだったのだ、とも)。だからその呑まれていた頃の思い出はほぼ思い出せない。そんな日々において、ぼくがやったことといえばただ働いて、食べて、寝て、夢見た。もう死んでしまいたい、と。

40代が始まり、ある日ぼくは1日酒を止めることができた時にこう思った。もし今日からまた呑み始めたら、それこそ60代いや50代でぼくは死ぬのだろう。何も残さず、何も成し遂げられず、ただ呑んだくれたまま生きて文字通り「犬死に」するだけの人生。そんな惨めったらしい人生を肯定できるだろうか。そうしたなら、ぼくは自分が負け犬であることを認めるだけだ。なんたるむなしい人生だろうか。

そんなふうに考えたことが、断酒の決意を固めてシラフの生活を始めることをぼくに促した。そして9年間にわたって、ぼくは呑んだくれる習慣から足を洗うことができた。そしてこんなふうに英語を学ぶこともまた始めた。今回、目的は学生時代に抱いていたものとはまるっきり違う。いま、学ぶことそのものが楽しいからぼくは学び続けている。試験や大学のためではない。自由時間を学ぶことに費やしシラフで過ごすことの喜びを噛み締めている。徐々に、堅実に。それがうれしい。

断酒後、ついにぼくはシラフでいることが人生を楽しませるのだということに思い至った。美味しい日々の食事、読書の喜び、仕事で汗を流すこと、学ぶことそのもの。それはぼくを賢くさせる。そうした活動から満足することがぼくが楽しみたいことで、この価値ある時間はそのために費やしたいと思っている。