実を言うと明日7月3日、ぼくは誕生日を迎える。48歳になるのだった。48歳……ここまでよくもまあ生き延びたのだなあと感慨に耽ってしまう。7月3日といえばぼくが敬愛する作家の1人であるフランツ・カフカもこの誕生日で、だからぼくもカフカに憧れて「彼のように生きたい」「現代日本のカフカになりたい。作家として名を成したい」と思ったりもした。そのカフカは40で亡くなっている。ぼくもカフカと同じく40で死ぬのかな、と(今になってみれば「アホすぎる」「若気の至り的な」ことを)思ったりもしたことを思い出せる……その頃はまだヘビードリンカーだったし、発達障害のミーティングにも参加していなかったので孤独にそうした妄想・夢想に浸って生きていられた。だが、人生とはまことに数奇なもの。その40の歳にぼくは断酒を始めた。そして、この町で同じく発達障害という問題を抱えて困っていた方々と出会い、件のミーティングを行うグループを結成したのだった。40という歳はぼくにとってターニング・ポイントであり、ぼくはむしろその歳になって「やっとこさ自分の人生を始められた」と言えるのかもしれない。運命なのだろうか?
今となってはどうしてあんなに呑んだくれていたのか思い出せない。それくらいぼくの中の価値観は変わってしまった。これは「脱洗脳」を施されたと言ってもいいくらいの変化だ……ぼくが酒を呑み始めたのは就活がぜんぜんうまくいかず(当時はスマートフォンもなかったのでタスクスケジュールを作ることもできず、またぼくはコミュ障で弱虫の青二才なので快活に自信にあふれた自分をアピールすることもできなかったのだ)、それでやけっぱちになって呑み始めたのが始まりだった。この日記ではもうおなじみの話題とも思う(まさに「耳にタコ」「ワンパターン」とも思う)けれど、子どもの頃から発達障害もあっていじめられてきたのでそれで自己イメージがズタズタに傷つけられて自分が恥ずかしくて、いつも自虐的なアイデアに苦しめられていたことも大きかったのかもしれない。「なぜ生まれてきたのだろう」「もう死にたい」と思いつめて……セルジュ・ゲンスブールだったか、喫煙について「緩慢な自殺」と言っていたのは。ぼくにとっては飲酒はそのまま自殺への試みだったとはっきり言える。
でもさすがにぼくも自分の酒の呑み方は異常だと思い、何とかやめられないものかと思いネットで調べてこの町にある断酒会の存在を知った。だが、なかなか断酒する踏ん切りがつかないまま日は経った。ある日、ぼくは偏頭痛で倒れてしまい、その日1日酒が止まったのである。ああ、なんともあっけないものだ。そしてその次の日、ぼくは迷った。また酒を買い求めて呑み始めるべきか。「呑むべきか呑まざるべきか、それが問題だ」……その時、ぼくは「悔しい」と強く思った。もしここでまた呑んだりしたら、ぼくはこの先一生酒を呑み続けてそして虚しく死ぬことになるだろう。50代、あるいは60代で。それも「1つの人生」なのかもしれない。でも、そんな人生は「悔しい」。ザブングルの加藤歩のギャグじゃないけれど、ぼくの中から「悔しいです!!」という「意地」が湧いて出てきた……と書いてしまっているが、実はこんなに話としてはきれいなものではない。ぼくは脚色してしまっている。正確にはもうただ「もういい」「もう呑まれたくない」そして「くたばりたくない」「悔しい」、そんな(フタをしていた)思いがいっぺんに湧いて出てきたのだった……。
その後ぼくは8年間断酒を続けて今に至る……再飲酒(スリップ)することもなかった。今でも例えば町で「DRY」と書かれたサインを見ると「アサヒスーパードライ」を連想してドキッとしてしまうのだけれど、酒に関する未練もなくなりぼくなりに健全に「第2の人生」「ニューライフ」を生きることができているなと思う。「悔しいです!!」。この日記を読まれている方ならもうわかっていると思うけれど、ぼくはぜんぜんマッチョでもなんでもない(いや、無自覚に女性を差別しているフシはあるかなと思うのでその際は指摘してほしい)。毎日毎日、飽きもせず口が酸っぱくなるほど書いているけれど、ただのへなちょこでエッチでメソメソした弱虫だ。だが、思い返してみて、そんななめくじのようなぼくの中にも「意地」はあるのかなと思ってしまった。その「意地」、自分に負けたくないという思い。それに従って、スティングに倣って「自分の魂を操縦士に見立てて」生きてきて、47歳まで生き延びたのだった。実にラッキーな人生だったかな、と感慨に耽ってしまう。生き延びたのだった……。