跳舞猫日録

Life goes on brah!

ぼくなりの「書くことのはじまりにむかって」

BGM: Oasis "Whatever"

fujipon.hatenablog.com

このエントリを読んで、思い出したことがある。

ぼくは昔、毎日酒に溺れる生活を送っていた。きっかけは大学生の頃、就職活動がうまくいかなかった時に(当時はぼく自身が自閉症だということを知らなかったのだ)ストレス解消のために始めた飲酒だった。それは就職に失敗して実家に戻ってからも続いて、結局40になるまで続いた。つまり20代・30代とぼくはずっと酒に溺れていたということになる。だからぼくの記憶の中には青春時代がない。10代はずっといじめや疎外感や孤独を感じてばかりだったこともあって、ぼくは自分の人生は40歳の時から始まったのだと思っている。何だかしけた人生だが、まあそういう人生を送る人間が居てもいいだろう、と思っている。ああ、20代と30代、ぼくはずっと酒浸りの頭で自己嫌悪に苛まれ、いっそのことこのまま死んでしまいたい、と毎日思った。今思うと何だか悪夢のような、今では信じられない日々だったように思える。

その20代・30代を通して、ぼくはずっと「こんな惨めな人生を送るために生きてきたわけじゃない。おれはビッグになってやる」と思っていた。それで、自分には書く才能はあると思っていたから作家になりたいと思っていた。あるいはアルファブロガーになりたいとも思っていた(ブログが流行り始めたのはぼくが30代の頃だったと記憶している。記憶違いがあるかもしれない)。どっちにしても共通するのは「書くこと」で「有名」になる、ということだろう。逆に言えば「有名」にならなければ意味がない、とも思っていたわけだ。そして、自分には可能性があるとも信じていた。「なれる」、と。そして今からすれば本当にあぶくのような小説や書評やその他の記事を書き飛ばした。当時はこんな言い方はなかったと思うが、「バズる」ことをずっと目指していたと言ってもいい。ひと口で言えば途方もなくアホだった、ということになる。

それが変わってきたのは、ぼくが40歳の時に酒を止めてからのことだと思う。偏頭痛が生じて仕事を休まなければならなくなり、あたふたしている内に日が暮れてその日一日酒が止まったのだった。次の日、また酒を買いに行こうかと考えて思いとどまった。もしここでもう一度酒に手を付けたら、自分は本当にくたばってしまう。それでいいんだろうか。そんな人生を過ごせて幸せだったと心の底から、正直に言えるのか……いつも「酒で死にたい。酒で死ねたら言うことなんて何もない」とうそぶいていたけれど、この時ばかりはもう「そんな死に方、悔しいなあ……」と思ったんだ。もうこれは理屈じゃない。ただ「悔しい」と思った。それで当時つながらせてもらっていた断酒会に連絡を入れて、酒を断つことにした。運が良かったのだろう。あれから7年間、ぼくは酒を呑んだことはない。断酒を続けられている。ありがたいことだ。

断酒会では毎週水曜日の夜に「例会」というミーティングを行う。ここでは、ひとり5分くらい時間を取って、近況報告から酒に呑まれていた頃の思い出、断酒する決意と断酒して勝ち得た幸せなどについて「語る」。ぼくもそんな風に「語る」ことを薦められ、見よう見まね(聞きよう聞きまね、と言うべきか?)で「語り」始めた。ああ、早稲田に通っていたけれどぜんぜん毎日が楽しくなくて、就職活動もさっぱりうまくいかず、何とか初めた仕事も足蹴にされてイビられてばかりで辛くて、最終的に酒しかすがるものがなかったこと……「語り」を毎週続けるうちに、ぼくの中で見えてこなかったものが見えてきた。それは「幸せ」とは何だろう、ということだと思う。ぼくはずっと「世間の幸せ」を「自分の幸せ」と取り違えていたのだろうと思ったんだ。自分はずっと「世間」に流されていたのだろうな、見誤っていたのだろうな、と。

「世間の幸せ」とは(ここからかなり暴論を書くので、異論がある方は積極的に歓迎するつもりでいる)、多分「ビッグになる」ということじゃないかと思う。まさにぼくが目指していたことだ。「いい大学」を出て「いい会社」に入って、うまくいけば結婚してマイホームを建てて、子どもを育てて裕福な老後を過ごす、という。いや、もちろんそれは十二分に「幸せ」なことだと思う。その「幸せ」を何の疑いもなく追求できるのなら、是非その「(世間の)幸せ」を追いかけたらいい。誰も止めはしないだろう。でも、ぼくは「自閉症」だからかそんな生き方に何ひとつ魅力を感じなかった。結局シラフで7年生きて47になってもぼくは結婚もしていないし、財産だって持っていない。グループホームでお世話になりながら暮している。でも、それもひとつの人生ではなかろうかとも思う。グループホームの食事はいつだって美味しいし。

そして「書くこと」で「ビッグになる」ということは、「有名」になることじゃないかと思う。「有名」になれば、人にチヤホヤしてもらえる(難しい言い方をすれば「承認欲求」を満たせる)。「お金」だって入ってくるだろう。もちろん、それが幸せなことだと考えることをぼくは否定しない。それだって十二分に「幸せ」なことだと思うから、追いかけられる人は追いかけたらいい。でも、ぼくは断酒会で「語る」ことを始めて、真に信頼できる「(断酒会の)仲間」に聞いてもらい受け容れてもらうことを続けているうちに「ぼくにとって『有名』になることは本当に『ぼくにとっての幸せ』なのだろうか」と思うようになった。そんなことが「(ぼくの)幸せ」ではないだろう、と思うようになったんだ。今、信頼できる仲間がいて彼らに思いを届けることができている。それを過小評価する必要なんて微塵もないだろう、と思うのだ。

そう思うようになったせいで、ぼくは「承認欲求」から少しだけ(「少しだけ」、です)自由になれたのかもしれない。等身大の自分を見つめ、みじめに酒に溺れるしかなかった無力な自分(「無力」だからこそ酒にすがることしかできなかった、とも言える)を見つめ、そこから言葉を探り出していく。自分にとって本当に大事なことは何だったのか、何が幸せに感じられるのか、を見つめ直す。そんな作業をぼくは「(断酒会で)語る」ことを通して行ってきたように思う。その結果、ぼくは「信頼できる少数の人に読まれるなら、それで充分じゃないか」と思うようになった。いわばひどく「内向き」な考え方になったわけだ。でも、それで何が悪いというのか、ぼくはイヤミでも何でもなく、ぜんぜんわからない(fujiponさんの書きぶりだと何だかネガティブな意味に読み取れるのだけれど、まあこれはOSの違いみたいなものかもしれない)。

いや、もちろんそれを不特定多数に公開しているわけだから炎上の危険性はあるだろうし、そうでなくても不特定多数に読まれることも大前提として踏まえておかなければならない。それがネチケットメディア・リテラシーというやつじゃないかと思うのだ。だけど、ぼくはもう(ぼくにとって)意味のない「有名になる」という強迫観念から自由になって、最低限の礼儀をわきまえた上で自分のしょうもない日々について書ければと思っている。ぼくはいつも日本語と英語で日記を書いているのだけれど、これも世界中に発信したいというよりは友だちに英語しか読めない人がいるからという理由で始めたことだ。「有名になる」とか別の言い方をすれば「てっぺんを取る」とか、そんなところにぼくが目指すものはない。ぼくはそれがこの7年間でよくわかったので、ぼくなりに今確実に手のひらに収まっている「幸せ」を噛み締めている。

それはとりもなおさず、「書くことができる」「自由に物申せる」という「幸せ」だ。

I'm free to be whatever I Whatever I choose. And I'll sing the blues if I want (Oasis "Whatever")