跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/08 BGM: Little Creatures - Giants Are Dying

全日本断酒連盟が発行している機関紙『かがり火』を読んでいたら、アルコールに呑まれて苦しんでおられた方の体験談が目に留まった。その方の話で、断酒会に参加するようになり自分の飲酒体験を告白することができて嘘をつかずに生きられるようになったという内容のものを読ませてもらってぼく自身のことを考えてしまった。ぼく自身も呑まれていた時、ずっと嘘をつきまくって生きていたっけ。ネットにおいても絶えず吠え続け、「自分の生活が親がかりでありぜんぜん自立できていなかったこと」を隠していたし(モロバレだったと思うけれど)、リアルにおいても「この1杯が最後だ」「明日から酒はやめる」と嘘をついて呑み続けていたのだった。断酒を始めてからぼくは、つとめてそうした嘘もつかないように心がけて生きてきた。いまは、もちろん「まったく嘘をついていない」とは言えないけれど、それでも昔よりは少ない嘘というか自己欺瞞/ごまかしで生きられているように思う。そうして素直に生きているとそれに沿ってストレスも減るし、人から(逆説的に)信用を得られもするようでありがたい。過去、成功者を気取って威張って、嘘に満ちた苦しい人生を過ごしていたあの日々を思うといまはプレッシャーもなく、楽ちんに生きられていると思う。大人になったのかな、と思う。

今日は遅番だった。朝、イオンのフードコートでその『かがり火』を読んで感じたことを詩にしたためる。ふと「(詩にしても日記にしても)こんな内容でいいのかなあ」とも思ってしまう。過去、ぼくはせっせと(理解できっこないライトノベルも含めた)新刊書籍を買い求めてレビューを書いたり、ニュースサイトめいたことをしたりしていたこともあったのだけど結局続かず、やがていまのような日記を書くことに落ち着いた。ただ、そんなぼくの日常が面白いのかどうか、ふと立ち止まって考えてしまった。確実に言えるのはそうしてぼくなりの素直なコンテンツを書くことは嘘がない生活を過ごすことにつながり、だからこそいまの時点で800日近く続く試みとして結実しているということになる。結局、素直に自分の「かたち」を受け容れ、等身大の自分と向き合って生きるのがいちばんなのかなとも思う……そんなことを考えていたらふと、昨日Discordのボイスチャットで10代の人と話すことになって、ぼくの学生時代の勉強法について教えることになったのを思い出した。でも、これにしたって根っこは同じことで「等身大の自分と向き合う」ことからすべては始まるのだとも思う。学生時代、ぼくはその「自分と向き合う」ができなかった。だからとにかくせっかちに成果を出したいとあやしげな勉強法にあれこれ手を伸ばし、失敗したのだった……。

ぼくが教えられるのは英語の勉強法くらいなのだけれど、ぼくがふだんやっていることと言えば英語でメモを書き、詩を書いて英語のテクストを読んで、あとはチャットしたり喋ったりすることくらいだ。頻繁に英語を使い、生活の中に英語を取り入れているということになるだろうか。それはそして、日本という国に住んでいれば英語を使う機会なんてめったにない(と思う)のでそんな中で積極的に勇気を出して、恥をかくことやしくじることを恐れず自分のカラーを出していくことにつながると思う。ぼくは小手先の(と書くと「角が立つ」響きが出てしまうが)テクニックは教えられない。そうしたテクニックはもっと、TOEICで高得点を取る人から学べると思う。ぼくが教えられるのは「それ以前」の「基礎の基礎」だ。英語を喋れる自分を誇り、英語を喋れない自分を受け容れるということ。どっちにしても、長い目で自分とつきあい自分を愛するということになる。ユーモアを忘れず……どんなに賢い人だって外国語を体得するにはそれ相応の時間がかかるものだ。なら、その長い期間を通して育つ自分や育たない自分を一喜一憂せず、受け容れて「自分とともに」成長することを楽しむゆとりを持つことが大事なのではないかとも思うのだ。

うっかりして、過去に在籍していたサービスであるシミルボンが閉鎖するというニュースに今日気づいた。過去にこのシミルボンにせっせと書評やコラムを投稿していた日々を思い出す。前にぼくはドストエフスキーを40代になるまでろくすっぽ読めなかったことをこの日記で書いたのだけれど、そんな自分の病的な読まず嫌いについても書いたりしたっけ。これもまた当たり前の話になるが、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を1日で読むなんてことはできるわけがないのであって、それ相応の時間をかけて腹を括って向き合っていく必要がある。今日書いたことはその意味でみんな根っこのところでつながっているのではないだろうか。「断酒」も「日記を書くこと」も「英語の勉強」も「読書」も、ベースは同じで時間と根気を費やして向き合うことが肝要となる。時間をかけることはどうしたってつらい。特にこの「タイムパフォーマンス」が重視される時代においてはなおさら。時間をかけたからといって成功する保証もないのだし……でも、そうして時間をかけてトライしたこと、自分を見据えて自分と向かい合って過ごした時間は「絶対に」ムダにならないとぼくは信じる。そうして「自分のかたち」を確認することは新たなステップを約束するとも信じている。