昨日の夜は日記を書き終えた後時間があったので、それまで読み進めていたジョージ・オーウェルの評論集『あなたと原爆』をさらに読んだ。ぼくはこれまでオーウェルのエッセイや評論は中公文庫や岩波文庫におさめられたものをひと通り(1周だけ)読んだつもりだったが、その印象とくらべてみてこの『あなたと原爆』は実にぼくの関心に沿った骨太の文章がおさめられていると感じられる。オーウェルのすごいところは、昨日も書いたけれど自分の中の違和感や穢れ、そして自分にとって不利なことがらさえも言語化して事実として提示するその肝の据わり方にあると見た。ジョイ・ディヴィジョンを聴きながら読みふけり、そして11時の消灯時間になるとそのまま眠ってしまった。
今朝は7時頃目が覚めて、それでいつも通りシャワールームに直行して熱めのお湯でシャワーを浴びて昨日の汗を流す。その後、昨日着ていたシャツとパンツなどを洗濯機で洗濯する。それから7時50分に開始される英会話のZOOMミーティングに参加して英語脳を鍛えた。ブレイクアウトルームにて集まられた方々とぼくの4人で英語であれこれ話し込む。今日の話題は日本のカスタマーサービス(広い意味での接客業)がどれだけユニークかというもので、ぼく自身――発達障害者には向いていない仕事、と言われているにせよ――そうした接客業の一翼を担っているので、興味深くほかの方々のお話を聞かせてもらった。
その後朝食を摂って、そして服を着替えて部屋を出る。すでに外は暑く、遅番勤務の日の常として今日も今日とてグループホーム本家におじゃまさせてもらい、そこで出勤されていた副管理者の方に昨日病院でもらった診断書をお見せする。その後そうした健康の話題やこないだの支援施設の方とのZOOMミーティングなどの話をしたりして、それが終わると食堂を貸してもらいそこで英語メモを書きつけていく。それにも飽きると『あなたと原爆』を読む。音楽はなににするか迷ったが、なんとなくここさいきんハマっているXTC『オレンジズ&レモンズ』を聴くことにした。
ふとオーウェルをいったん脇に置き、カクヨムを散策していると雨伽詩音さんの「初夏の閑居にて記す、うつ病療養日記」という連載エッセイが目を引いた。最新のエッセイを読ませてもらうと、AIと英語でやり取りをすることで自分自身が楽になった体験談を書いておられてそれに共感を覚えた。とりわけ、「英語を使うとそれだけで呼吸が楽になる」といった文が目を引く。英語を使用することで脳のみならず身体感覚まで開放的になったという詩音さんの体験が、ぼく個人が英語を使い続ける理由とも共振するところがあると思ったのだった。あるいはさいきん読んだ多和田葉子『エクソフォニー』をも思い出させるところがあるとも。
知られるように、日本に住んでいて英語を使う機会は特殊な例外をのぞいてそうあるものではない。それが日本の英語学習者にとっての足枷でもあるわけだけれど、それでもぼくが英語を学び続けるのは日本語と英語の構造があまりにも違うからであり、それゆえに自分にとって自明とは言いがたい英語の構造の中に自分を合わせていくとかたくなになっていた自分自身の思考が相対化され、おおげさに言えば「解体されてから再構築される」とも思えるのだった。そこに気持ちよさと開放感を感じるから英語で考えたりDiscordでチャットしたりすることをおのれに課している……そんなことを英語メモに書いていった。
英語メモが一段落すると、ふたたび『あなたと原爆』に戻る。ただやはりというか、Xのタイムラインが気になってなかなか読書に集中できない。『みいちゃんと山田さん』についてかまびすしく議論(?)がなされているのを読み、ぼく自身も――くだんの作品を読んでいないにもかかわらず――発達障害者としてなにか言いたくなる気持ちをグッとこらえる。こうしているとたしかにソーシャルメディア(SNS)が自分の集中力をさまたげているのを感じる。インターネットがいまのように大衆化される前はどうやってこのADHD丸出しのぼくは集中力をたもって読書していたんだろう、とも思った。
その後、本家を出てそれからいったん図書館に寄る。そして新刊をみつくろっていたら、前々から興味があった清水眞砂子さんの本があるのを見つけた。『人と本との幸福な出会い』というのがそれで、借りることにした。その後イオンに行きそこでその清水さんの本を読みはじめる。ただ、今日はXのことが頭の片隅にあったせいか、それとも暑かったせいかいらいらしていた。そうするとろくなことを思い出さない。過去のつらかったことが脳裏によみがえってきた。酒におぼれていた頃。あるいは、フラッシュバックが起こるまで上司に苦しめられたりした頃のこと……。
それでつい、出勤前の時間に(今日は2時から仕事だった)ぼくが所属している自助グループのLINEグループに暴言を書いてしまった。ここで書くことがはばかられる暴言だ……それをさっそくほかの方が読まれた。それで、リアクションをくださった。それがありがたかったけれど、同時になんだか自分自身がものすごく理不尽な立場に立たされているような気がしてならなかった。過去のことにいつまでも執着していてもなにもはじまらない。いまを生きて、未来につなげなければならない。ただ、それはわかっているものの過去に受けた理不尽な仕打ちは残り続ける……。
仕事に入り、いちおうは退勤時間まで仕事をする。いったん仕事のノリをつかんでしまうとあとはほとんどそのノリにまかせて仕事をこなすことができた。ただ、自分が吐いてしまった暴言の反動がかすかに自分の中に残っているのがわかって、休憩時間もそのことを考えた。発達障害者はネガティブなことがらを鮮明に覚えやすい性質を持つ、とメンターの方からそのLINEグループにておそわった。ならば、ぼく自身の中にいまだ理不尽なしごきやいびりに遭ったことが冷凍保存されていてもおかしくないはずだ。どうしたらいいんだろう。けっきょく退勤時間までなんだか気が晴れない、いやな感覚を感じながら仕事をした。
いま、これを書いているのはグループホームの自室だ。坂本龍一のピアノ曲を聴いている。こうしたことがらもいずれは過去として消え去って・忘れ去ってしまって、「そんなこともあったっけ」となってしまうのだろう。それはそれでいいのだけれど、いま感じているもやもやについてこうして記録しておくのもなにかの参考になるかと思って、はなはだ不名誉ながら書くことにした。







