
たんなる怠慢と言ってしまえばそれだけの話になるのだけれど……まず大前提としてぼくはいつも、マルマンからリリースされているニーモシネというメモパッドに英語でメモを書いている。その内容はいろいろで、朝の英会話のZOOMミーティングに参加した時に感じたことを英語を使ってメモ書きしたりあるいはふだん考えていることを忘れないように英語で書き留めたりしている(世の中には「メモしなければ忘れる情報・着想はしょせんその程度だ」と割り切れる人もいるらしいが、相当肝の据わった人なんだろうと思う)。そして、1日の終わりにそのメモパッドを見ながら起きたことを思い返してそれを日記にしたためていく。
ただ、今日は(おいおい書いていくけれど)そんなことをする気になれなかった。ぼくがこの英語メモの習慣をはじめてからだいたい6年ほど経つと記憶するのだけれど、6年もやっているという事実にあぐらをかいてしまったかあるいはマンネリに感じられたか、ともあれやる気がまったく出なかったのだ。もっと言えばこの日記を書くという作業についてさえ、なんだか「単純作業」「反復」という感じでしかとらえられなくなってきている。言い訳に響くと思うのだけれど(でも、いったいなんの「言い訳」なんだろうか)つまらない1日をリピート/リプレイしているような、そんな気になるのだった。
こんな時どうしたらいいだろうか……いや、こういう「マンネリ感」「退屈さ」はそれこそ誰もが感じることだろう。ぼくの場合はこんな場合まず図書館に行って適当に本を借りてみたり、あるいは公演に行ったりSpotifyで聴いたことのない音楽を試してみたりする(最近はもっぱらDreamcoreやWeirdcoreと呼ばれるホワホワしたシンセサウンドに夢中になっている。たとえば『ゆめにっき』のサウンドトラックなど)。枕が長くなってしまったけれど、ともあれ今日はそんな事情により「あったこと」をそのまま日記として再現することは出来ない。「考えたこと」「思ったこと」なら書き留められるかもしれない。
今朝は6時頃目が覚めて、そしてさっそく絵を描く。Inktoberも早いもので10日目になる。今日のお題は「Mystical」、つまり「神秘的な」という意味だ。このお題からぼくは、前にロバート・ハリスさんの本『アフォリズム』で知ったアイザック・バシェヴィス・シンガーという作家の言葉「人生は神が書く小説である。神に書かせ給え」という言葉を思いついたのでそのまま絵にしてみた。それをさっそくInstagramやDiscordなどに投稿する。それから7時にシャワールームでシャワーを浴び、7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。
それが終わると8時半で、いつも通り朝食を食べた後に部屋を出る。今日は10時から仕事で、1時に休憩時間をもらって休憩室でしばしパスタを食べた後考えごとをする。今日考えたことというのは「人の気持ち」ということだった。ぼくは(自慢じゃないが)人の気持ちがまったくわからない。そして、最近では「人の気持ちなんてわかるものじゃないか」と考え、「わからないものはわからないままで留めておいてもいいのかな」と思えるようにもなった。懐疑的になり過ぎず、不可知なものはそのままに自分が責任を取れたりコントロール出来たりすることがらに集中しようと考えられるようになったのだと思う。
いつも書いていることだけれど、ぼくは発達障害者でそれゆえに人の心を類推するのが苦手だ。「サリーとアン課題」に代表されるように、人の立場に立ってシミュレートするということが出来ず「どうしてそんな簡単なことがわからないの」となじられることも何度もあった。逆にぼくの場合、相手の気持ちを読み過ぎようとして泥沼にはまることも多々あったのである。それで、10代の頃は人となかなか打ち解けられず(相手が悪意を持っている場合も往々にしてあったので)、本ばかり読んでいた。本のキャラクターの心理はなんとか読めたし、万が一読めなかったとしても特に問題にはならなかったからだ。
20代になって、宮台真司さんの影響で――もちろん、「自分なりに」「ない知恵絞って」というただし書き付きで――論理的に物事を考え抜き相手を圧倒させ論破させようという意志が芽生える。論理で相手を黙らせてしまったら、あとは相手が気持ち的に納得できなかったとしても相手が悪いことになる……無邪気にも、あるいは愚かにもそう考えていたのだった。もちろん、いまはぼくは「人間は感情・情念をベースに動く(ぼく自身ももちろん含めて)」ということがわかってきたつもりである。ただ、過去はそんな風にマシンになろうとした。そんなことを思い出した。
そうした考えごとが一段落した後(というか、「なんだかこんなことをしつこく・ねちねちと考えていても進歩がないな」と思ったので)、今日の漫画を描く。それが終わると近所にある未来屋書店に行って、晴れてしおたにまみこ『くも』を買い求める。お金はもちろん惜しかったけれど、これもマンネリ感を打破するために必要な作業だと自分に言い聞かせてしまった。今日は5時まで仕事だったので、2時に職場に復帰してもうひと頑張り仕事をしてそして退勤する。帰宅前に図書館に寄る。そこで本を見繕う。
ハン・ガンの本を借りるか、それともここらでいっちょ『失われた時を求めて』か……とあれこれ考えていたところふと閃いたものがあって絵本のコーナーを見やる。そこで、ショーン・タンの絵本『遠い町から来た話』があったのでそれを借りることにした。絵本を借りるのは実はこれがはじめてかもしれない。帰宅後、その『遠い町から来た話』を読む。まだ一読した段階だけれど、これはぼくの関心にそぐうところがあるのかもしれないと思った。平穏な日常に(たいていは物理的に遠いところ、たとえば日本などの異国から)他者が到来し、そして静かな混乱を起こして静かに去っていく(パニックは明確には描かれない)。その、微温的な混沌がいいなと思った。もちろんこれはポジティブな意味で言っている。
それで気を良くしたせいか、ChatGPTにこれから読むべき本を指南してもらう。エリック・マコーマック『隠し部屋を査察して』(これは持っている)や、あるいは過去に読んで感銘を受けたブライアン・エヴンソン『遁走状態』『ウインドアイ』など。この流れで読めばなかなかわからなかったフリオ・コルタサルやホルヘ・ルイス・ボルヘスなどの技巧的で幻想的な短編もおもしろく読めるかもしれないし、日本だとこうした作家は誰がいるんだろうとかあれこれ考えてしまう(吉田知子『お供え』も読み返したくなってきた)。ほかにももっと幻想的な短編の名手がいたと記憶するが……飯田茂実や一部の筒井康隆、島尾敏雄、内田百閒。これらについてもまたChatGPTに確認してみようかな。





