跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/04/24 BGM: Pavement - Range Life

今日は休日だった。今朝、毎朝恒例のZoomの英語関係のミーティングでぼく自身がかれこれ9年間断酒を続けてきたことを話す。するとあるメンバーがそのことで「意志が強いんですね」と言って下さった。もちろんこのコメントはありがたいものだが、でも心のどこかでぼくは「強いのかなあ」と疑ってしまう。ぼくの見解からすると、ぼくはそんなに強くはない。トリッキーな言い方になるが、強くないから酒に溺れたんだろうとさえ思う。

過去にこの弱さをずいぶん恥じたものだ。だから「なんでこんなに弱っちいんだろう」と自分を責め続けもしたのだった。「もっと強くならなくちゃ、タフにならなくちゃ」と……ぼくはセクシャリティとして男なので、こんなことはそれこそ噴飯物というやつだろうがそれでもぼくは自分のめそめそした性格を脱してより強くなることこそ「成長」だと信じていたのだった。それが、ぼくが自分のことを負け犬だと信じ込んで生きていた原因の1つなんだろうと思う。あるいは自分のことを両親が為した文字通りの「失敗」だとさえ思った理由というか。

いまだってぼくは自分がそんなに強い人間だとは思えない。まったくもって思えない。思えてたまるか……と衝動買いしてしまった西部邁の文庫本を見つめてつぶやいてしまう。でも、アルコールを断ってからそれでもぼくの心持ちは変わったかなとも思う。いまはぼくはそんなめそめそした自分を受け容れる。というのは、それがぼくでしかないからであって、したがってどうしようもないからだ。言い換えれば、自分の人生を振り返ってみるとどこかの地点でこの自分を受け容れ、愛するにはどうしたらいいのかなと肚をくくれるようになったのかもしれない。この書きもののように、ぼくは自分の個人史を他人と分有(シェア)する営みを始めてきた。学校での孤絶(いじめ)、発達障害、アルコール依存、などなど。

そんなふうにして他人に自分の話を打ち明けていくうちに、こんな考えが芽生えてきた。過去、ぼくはそれこそ自分のことを犠牲者意識を以て眺めていた。こんな困難だらけの人生だから自分の好き勝手な生き方、気ままな生き方ができず実に生きにくい思いをしないといけないのだ、と。でもいまはそれでもそんな困難を受け容れてそれなりに、できる限り陽気に生きていきたいとも思っている。そして、この世界で完全無欠な「勝者」になるという妄想をどうあきらめたらいいのかについても考えるようになった。というのは、そんな妄想こそがプレッシャーになり、引いては死まで考えさせ追い詰めさせる原因にちがいないからだ。

こんなことについて考えると、ぼくは小沢健二の音楽を介して知った偉大なバンドであるスティーリー・ダンの『Aja』というアルバムのことを思い返してしまう。とりわけこの名盤には胸に突き刺さる名曲「ディーコン・ブルース」が収められている。この曲はある人物が人生を敗者のポジションから眺めたものだ。ぼくは英語ネイティブではないが、この曲は永遠の名曲ではないかとさえ思う。いまだって、ぼくはいろんなものを買い込んだり食い尽くしたりしたいというか「ゲット」したいと欲をふとらせているのはたしかだ(むずかしい表現をするが、そうしてこの競争社会・消費社会に参加するためだ)。でも、ぼくはある意味ではそうして「半分」だけではあるにしても俗に言う「スローライフ」に足を突っ込んで生きているとも言えるのかなとも思う。