思い出すのは、ぼくが実際にもっと若かった頃、そしてもっと無知だった頃というのはぼくは実に極端な考えに取り憑かれていた時期でもあった。学校教育なんて時間と金のムダで、先生もクラスメイトも自由意志のかけらもない山羊の群れみたいな愚鈍な存在だ、というような……というのはもちろん言いすぎであり、こんな考えはそれこそナンセンスだといまなら言える。でもいまでもぼくは心のどこかで学校に関するトラウマ的な感情を抱えている。思い出すと、そうした時代からあらゆることが変わってきているのだな、と思う。ぼくだって、それこそ先生やクラスメイトだって、同じままではないだろう。
実は昨日、グループホームで母と会った。母が懸念していることとして、ぼくがよそ行きのスーツを一着も持たない暮らしをしていることを言っていた。だからぼくは、グループホームの世話人さんや他のスタッフの方と相談すると話した。両親はつくづく偉大だな、と思う。ぼくは、ぼくの観点から見ても実に育てにくい子だったはずだったからだ。でも、見放したりせず注意深く見守ってくれたのを感じる(そりゃ試行錯誤あり、ミステイクありだったかもしれないにせよ――でもぼくだって生きる過程でミスなんて山ほど犯してしまった)。過去、両親を嫌ったこともあった。でもいまは彼らを尊敬できる。それにホッとしてしまう。
こうしたことを考えると、ぼくはいまから家庭を築くのはもちろん無理というものだろう。人生100年時代、といういさましいスローガンが説得力を持つ時代であるとはいえ。それは真実として受け容れたい。だが、大人として、この国やこのコミュニティの立派な成員として、コミットメントの試みをしていくべくいろんな活動に参加してこの世界をよりよくする貢献ができないものかとも考え始める。なんでこんな寛容さが自分の中で芽生えたのか、考えると興味深い。昔はそれこそ教育なんて洗脳の一形態であり教師・国家がイデオロギーを生徒の頭脳に流し込むだけだとまで考えていたのに。もちろんこれも「アホか」で終わる話だが、たぶんトラウマからくる鬱によってもたらされたものだろう。鬱の時は合理的・客観的な思考ができなくなるから。過去は過去、いまはいま。というわけで、ぼくはまた明日に向かって生きていきたいなと思い始めた。