跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/03/14 BGM: Triple Deer - 花的名字

今日は早番だった。今朝、Facebookを介したオンラインミーティングにひさびさに参加したてそこで英語の練習をした。話題はどんなエクササイズ(運動)をふだんの生活でたしなんでいるかといったことだ。この日記でも書いてきたのだけれど、日常生活で英語をメインに使って会話をする機会なんてめったにあるものではない。なのでこの種の機会はほんとうにありがたい。ミーティングを満喫し、「それは私のセリフです(that's my line)」というフレーズをある方から教わった。

その後、Discordでチャットに興じた。突如として、ぼくは最近自分がめったに(というか、もう「まったくもって」というべきか)早稲田にいた頃のことを思い返さなくなってしまったことに気づいた。でも、どうしてなのか自分でも理由がわからない。いや、早稲田の日々が惨めったらしいトラウマに満ちた日々だったというわけではないのだ。誰に気を遣うでもなく言う。ほんとうにあの時代はいまなおぼくにとって味わい深い日々として活きている。佐野元春村上春樹に憧れる青二才だったぼくに英文学を教えて下さって、「キャンパスライフ」を満喫させてくれた。だから、理由はわからない。

読者にとってはもう耳にタコだとか聞き飽きたとかうんざりだとか言う話になるかなとも思うけれど……でも、ぼくが過去呑んだくれていた頃はこのリアルライフ、いまの情況からどう「現実逃避」するかに腐心していたのだった。だからそんな過去の日々の思い出の中に生きていまから目を逸らしたこともあったかもしれなかった。ぼくの青春時代といえば90年代のロックの名曲群を思い出す。グランジオルタナティブブリットポップが全盛だった頃だ。ニルヴァーナやブラーやオアシスやレディオヘッドといった、数々のグループの時代。文学ではポール・オースターを読んだり藤沢周阿部和重を読んだり(「J文学」なんてものもあった)。タランティーノの映画が台頭してきた時代でもあった。

ぼくの青春時代は、誇張でも自虐でもなくほんとうに「イケてない」ものだ。だから『恋する惑星』『パルプ・フィクション』の洗練とはほど遠いお粗末なものである。でも、理由は言えないけれど、いjまの人生をぼくは愛する。Spotifyなんかでアジアのポストロックを聴いて、DiscordやMeWeでチャットや英語の勉強に打ち込める「いま」という時間。いや、過去への郷愁は大事かもしれない。でも、ぼくは前を向きたいと思う。

仕事が終わり、グループホームに戻りオンラインミーティングに参加する。友だちと一緒に、彗星についてのプレゼンテーションを楽しむ。彗星は地球に衝突するだろうか(といった話題がXだったかで盛り上がったそうだ)。プレゼンター、つまりホストとして知識を披瀝される方が知識や感覚を磨いてアップデートされているのに唸った。実に学びの時間だった。こういうことがあるから「いま」はいい……でもこんなことを話すとその方はもしかしたら「それは私のセリフです(that's my line)」なんておっしゃったりして!