跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/10/20

BGM: Ryuichi Sakamoto - Thousand Knives

ある日、ぼくの友だちがミーティングでこんな話をした。「どうして英語はわたしたち日本人にとって難しいんでしょうか」。これは興味深い話題だと思った。ぼくの経験から言うに、ぼくたちはまず学ぼうとするなら練習するための場所を見つけないといけない。そして、ぼくたちの話し相手になってくれる人も。ぼくは昔、そうしたいい機会を見つけることがとても難しかったことを思い出す。

それに加えて、内にも敵というものがいる。恥ずかしがることだ。それがほんとうにやりたいことからぼくたちを遠ざける。こんな悲しいコメントを聞いたことがある。「こんな下手な英語でごめんなさい」。その気持ちはわかる。なぜならぼく自身、ぼくの英語がまずいと思い込んでいたことがあったからだ。英語のネイティブと話したことがなかったから。いまでも、ぼくは自分の英語力が不安になる。スミスが歌うように、その恥じらいはぼくたちを止めてしまう。

問題はこみいっている。もし英語に自信を持たなければ、ぼくたちは堂々と英語を喋れない。そして堂々と英語を喋らなければ、自信を失う。わかる……いま、ぼくは自分の英語がいいとは言わない(だけど少なくとも、過去よりは上達したのではと思う)。でもいま、ぼくはたくさんの人たちと英語で会話を楽しめている。

だったら……どこで考えが変わったのだろう? はっきりとは答えられない。でもたぶん……ぼくの場合、友だちと豊かな友情関係を結べたのが大きいと思う。彼らは日本人で、ぼくたちは日本語で話すのだとしても……ぼくは彼らのほんとうに人間的な温もりに支えられているのを痛感する。だからぼくはどれだけぼくが惨めかを晒すこともできる。ぼくはクールじゃない(この文が示す通り)。

この敬虔から、ぼくはほんとうにヒューマニスティックな関係、信頼できる関係を結ぶことが英語の上達の秘訣の1つではないかと思った。確かに、英語のテクニックは端的に大事だ。でも、ベースとなる人間らしさはもっと大事ではないかとも思う。