跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/04/30 BGM: Stevie Wonder - You Are The Sunshine Of My Life

この日記でもしばしば書いてきたが、ぼくはアルコール依存症者なのでここ9年間「完全なる」断酒を続けてきた。知られるように、依存とは実に深刻な問題の1つである。アルコール以外にもこの社会における依存要因としては仕事やドラッグ、インターネットなどが挙げられるだろう。他にもまだまだあるのではないか。この話題に関して言えば、ぼくはぜんぜん威張れたものではない。他にもぼくの中には依存の心理がある。たとえば高価いものを後先ろくすっぽ考えずにバカバカ買い込む、などだ。

40になり断酒を初めた時に考えたことといえば、どうやったら真に生きる価値を持つ「よりよい人生」を送れるかということだった。この問題を抱えて生きていくうちに、次第にぼくはどうやって意志をメンテナンスして呑まないようにいきていくかといったことがらについて考えられるようになった。人は時に、ぼくの意志が鋼鉄か何かのように強いのだと褒めてくれる。でもこの日記にも(まさに上の段落にだって)書いたように、ぼくはただのへなちょこである。弱く不完全な生き物。生きていくうちに、この考えが自覚されてきた。弱くてもいい、というか弱くあるしかない。

酒を断ってしまってからも、ぼくは心のどこかではアルコール依存症者である可能性を否定していた。アルコール依存症は避妊の病ともいわれるが、でもだったら「そもそも、どう考えても傍から見れば目覚ましくガバガバ呑んだくれていたのに、なんで否認したのか?」となる、たぶんそれは、認めてしまえば自分がとっても弱いから、だから飲酒1つコントロールできないダメ人間だから(それを自分でさえも認めなければならないのが情けない・致命的な失態だから)ということになるのだろう。

ああ、実にアホみたいな考えに苛まれて強迫観念に取り憑かれていたものだ。その観念とはズバリ、男らしく強く自立したマッチョな人間であれ、というものだ。何か大事なことを勘違いしていたのだった。強く、自立。そう、スタンドアローンで誰の力も借りずに生きる。ただの痩せ我慢的な理想だ。アホだったなといまならわかる。

最近ぼくは、中島岳志西部邁といった論者の本から保守の考え方に惹かれつつある。実に奥が深い考え方でそれこそ思想書を数多と読まなければならないが、いま生半可な理解をあえて晒すならそれは「人がミスだって犯す不完全な生き物であり、だから賢さを過信せず謙虚に生きるべきだ」となろう。「伝統に準じ、過去から謙虚に学べ」と。若い頃。ラディカリズムに惹かれなんでもかんでも改革・刷新がいいのだと信じていた。でもいま、この懐古主義を愛する。断酒したことがこんな考えに至るとは、まさに「事実は小説より奇なり」というやつだ。でも、それが人生というものかなとも思う。