跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/12/21 BGM: 佐野元春 - Happy Man

今日は早番だった。仕事もそこそこにこなし、いつもどおり昼食の休憩をはさむ。そのランチタイムに、こんな至言をスマートフォンを通して読む機会があった。ブルース・リーによるその言葉をぼくなりに実につたなく・ぎこちなく訳すとこうなろうか。「私が恐れるのはかならずしも一万パターンの蹴りをひと通り練習した者ではなく、むしろワンパターンの蹴りを一万回練習した者だ(これはかなり意訳を交えた、贅肉をはらんだ訳であることを断っておきたい)」。とても印象深く刺激的な(それこそぼくの心に直に火を付ける)至言と思ってしまい、ついつい自分自身のことを振り返ってしまった。過去に、このせっかちで飽き性なキャラクターが災いして(つまりたぶんに発達障害で多動性に満ちた、とてもそそっかしくておっちょこちょいで落ち着かない性分ゆえで)、だからなにが自分にとってしっくりくる「ワンパターンの蹴り」なんだかわからず、延々と「ベストな蹴り」を探してリアルやネットを右往左往し、むなしくさまよい歩いたものだった。いま、ぼくは英語学習において「ワンパターンの蹴り」を見つけられたと思う。それはつまり、いつも書いていることを飽きもせず・性懲りもなくなぞるが「英語でメモパッドにメモを書いていく」ことや「英会話関係のZoomミーティングにできる限り参加する」といったことになるだろう。

だが、私見では(経験則を相当に僭越ながら・なにも成し遂げたわけでもないのに「ゴーマンかまして」書かせてもらうなら)これはぼくがブルース・リーと同様のストイックな精神を持つということではまったくもってない。あたりまえだ。ただぼくは飽きもせず自分に合った練習法を探していて、それこそ「犬も歩けば棒に当たる」でラッキーをつかんだというだけのことだろう。でも、もしかしたらこのいったんハマってしまえば凝り性が発揮されてしつこく・ずうずうしくなる発達障害の性分がこんな感じでストイックさを発揮してしまうという「まぐれ」「ラッキーストライク」もあるのかなあ、とも思う。別の活動について言えば、ぼくは1冊の本を飽きもせずしゃぶり尽くすくせがあるので村上春樹ポール・オースターサルトルウィトゲンシュタインフェルナンド・ペソア古井由吉堀江敏幸保坂和志沢木耕太郎松浦寿輝といった書き手の本を(なんだかわれながらまったくもってスットコドッコイと思う選書だが)読みふけってきたかなあ、とも思う。でも、そんな感じでともかくしつこい(それこそ天下一品のラーメン並みにしつこくギラギラする)性格があってこそこんなアンポンタンな人間ができたんだろうなとも思う。

人生万事塞翁が馬、あるいは瓢箪から駒とはよくぞ言ったもので過去にいまのこんなシチュエーションが到来するなんてこれっぽっちも予測できるわけもなかったのだが、なんにせよ少なくとも曲がりなりにも(大事なことなので二度言う。まさしく、紆余曲折あり山あり谷ありだったが「曲がりなりにも」)10年ほど英語を自分のプライベートタイムに「再履修」「学び直し」するようになったので、それだけやってればヘッタクソだったぼくだっていまや「そこそこ」英語で弁舌さわやかにあれこれしゃべれるようになった。さいきんになって、LINEの英会話グループで初心者の方の質問に答えてアドバイスを授ける側に回ることも増えてきたりもした。「いったい英語の勉強はどこからはじめたらいいんでしょうか」「おすすめの参考書はなんでしょうか」といったことだ。ぼくはでも、自分が英語の達人(エキスパート)だと思ったことは一度たりともない。あってたまるものか。心の中ではいまだぼくはペーペーである。ただ日々、自分の「ワンパターンの蹴り」を練習するのみだ。ほかに効果的な勉強法・しっくりくる方法を思いつかないからやってるのだが、ぼくみたいなバカでもそれだけなりふり構わず・とことんしつこくやれば少しばかりは小利口になるというものである。

仕事が終わった後、となり町の図書館に行きロラン・バルト『偶景』『表徴の帝国』『明るい部屋』といった本を見繕う。その後、部屋に戻りかんぜんに精根尽き果てた状態でテオドール・アドルノ『ミニマ・モラリア』を開き、もちろんそんな疲れ果てた状態でアドルノの精緻すぎる議論について行けるわけもないのでテキトーにページを繰って時間をつぶす。ミクシィ2にて、「過去、ぼくは愛の概念がとうてい受け容れがたい・歴史的に構築された有毒性のフィクションであると信じていてそれゆえに愛を謳うものを憎悪していた。でも、いまは愛がすばらしいものと信じる」といったことを投稿する。たぶんロラン・バルトのテクスト読解を読めば少しばかり参考になる真実を得られるかもしれないし、たんなる時間のムダで終わるかもしれない。なんにせよこうして書いていくと、読書もまたこんな頑固者・アホンダラのぼくのもう1つの「ワンパターンの蹴り」の練習のようだ。