跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/12/22 BGM: Goldie - Timeless

今日は休みだった。今日も今日とて、英語を使ってZoomミーティングに精を出す。毎週日曜日はぼくたちはとりたててトピックを設定しない「フリートーク」の日なので、ざっくばらんに・ゆるくいろんなことをシェアし合った。ぼくたちの部屋では学習塾や進研ゼミ、通信教育(海外にそうした教育の形態はあるのか)といったことが話題になり、ふとあるメンバーがこんなことを質問された。「もしいまから学生時代に戻れるなら、いったいどんなことを勉強したいですか?」。シンプルだが、実に意義深い難問だと思い唸る。いろんなことを考えさせられる。すでにこの日記でも書いてきたように、少なくとも(客観的に、他のクラスメイトから見てどうだったか知らないし興味もないが)ぼくの学生時代は地獄というかみじめで不毛でぺんぺん草さえ生えないありさまだったので、もう戻ってなにかをやり直したいとも後悔しているとも思わないのだった。同窓会にも誘われたこともないし、出ようと思ったこともない。

そうした日々はつまりは「インターネット以前」の時期のことで、だからその時期いったい自分がどんなことをして自分自身の心のマネジメントを行っていたかまったく思い出せない。言い換えれば、当時はもういじめられて無視されておみそにされてさんざんだったのでたぶん本をありったけ読みあさり、渋谷系の音楽をあれこれ深堀りしてそんな地獄を生き延びたのだろうと思う。だが、もし当時に戻れるなら(あるいは戻らないといけないなら)、ぼくは英語をいまよりもっと本腰を入れてやり直しTOEICを受けてみたりするかもしれない。インターネット到来直後の東京において、友だちを探すべく右往左往するかもしれない。そして、そんな90年代の暮らしをこんな感じで日記にしたためるだろう(ネット上で日記を書いている人たちはいたかもしれないが、ぼくは当時は自前のウェブサイトを持っていなかった。目ざとい人たちはジオシティーズなんかでそんなことをはじめていたが……もっとあとのことだったか?)。そして、自分が発達障害であることを診断できる施設を探すかなとも思う。

午前中、clubhouseにて毎週行われているアニメにかんするルームが開かれていたのでぼくも顔を出す。今週の内容は生成AIとアニメの関係についてだった。ご存知のように、いまやAIはさまざまな分野で用いられている。ルームのディスカッションはあるTwitterユーザーが生成AIで作ったアニメのショートビデオにかんする話題から始まり、その後さまざまな話題へとゆるやかに派生していった。「AIはいつかぼくたちを支配するだろうか(AIが、スタンリー・キューブリックの不朽の名作『2001年宇宙の旅』のHAL的に反乱することはあるだろうか)」とか「どうしてぼくたちは人間の手で作られたアートとAIのアートを区別できるだろうか」。このルームは2か国語(日本語と英語)で開かれていて、ぼくも実につたない英語であれこれチャット欄に書き込んだりする。実に刺激的な時間だった。

ぼくはアニメファンではなく、ただの老いたおっさんに過ぎない。だからこのディスカッション(それこそ最新のさまざまなAIにかんする知見が惜しみなく披露された)にはなかなかついていけなかった。情けない話だ。だが、むろんさまざまなアートでテクノロジーが使われること、それによってアートの意味・定義が変わっていくことは歓迎したいと個人的には思っている(そうでなければテクノだってIDMだって聞けなくなる)。だが、生成AIがそれこそ光の速さでぐんぐん進化しているとしても、ぼくはどん臭いのでそれでもアーティスト(アニメの場合ならアニメーターになろうか)の指はアニメなんかのアートに「命」を吹き込むと信じたい。いや、この場合の「命」だってオカルティックで怪しすぎるものだとは思う。なまじそんな「命」がこもったアートにこだわるより、ウェルメイドな生成AIのアートを楽しむのがいまどき風なのかもしれない。が、理由はわからないけれどぼくはそれでも(いや、挙げていくと自分でも古すぎるとも思うが)押井守ジブリガイナックス、その他クラシカルなアニメにこめられた「命」「魂」というもの、あるいはもしかしたら「オーラ」かもしれないものに惹かれる。

そんなこんなで昼になる。グループホームの管理者の方から、生活費を受け取りあれこれ話す(年末年始の予定など)。その後部屋に戻り、カップ焼きそばを食べたらなんだか気分が悪くなったので(野菜を摂るべきだったか)外に出る気も失せてなんだか厭世的な気分になり、アドルノについて書かれた本を読んで過ごす。そういえばぼくが学生時代に読もうとして挫折したホルクハイマー&アドルノ啓蒙の弁証法』も、いまだに通読できていないことに気づく。学生時代に戻れたらまた、こんな肉厚・重厚な本と取り組んでみたいものだ(でも、なんだかんだ言って学生時代に戻りたいとはどうにも思えない自分がここにいることもたしかだが。あの時期、スマートフォンもなくSNSともつながれなかった時代……)。