ぼくが持っている信念としてあるのは、英語を学ぶ喜びというのはそんな「ペラペラ」な人だけに独占させてはもったいないということだ。誰にだって(そう、英語を学びたい方なら老若男女問わず誰でも)門戸は開かれて然るべきだとさえ思う。中にはぼくの英語が自信たっぷりだと評価し、その秘訣を訊きたがる人もいる。でも、客観的に見てもぼくの英語は「中級」だろう。そんなに高からず低からず、甘からず辛からず。ただ、学ぶ喜びを追求したいと思ってこんなふうに英語の勉強を続けている。
日記でも書いてきたように、大学生のころのぼくはすでに人生に迷ったどら猫であり弱虫であり、だから1人では自分の意志さえきちんと伝えられない臆病者だった。当時も両親に泣きついて英会話をさせてもらった経験があるが、そこでも自信を持って自己紹介することさえできずにずいぶん恥をかいた(他の方もぼくの本気度を疑ったはずだ)。なんともはや。
いま、もしぼくの英語がそんな感じで自信満々に聞こえるとしたらそれは経験と(たぶん)これまで曲がりなりにも日常生活でやってきた努力のせいだろう。才能のせいでは「絶対に」ない。というか、ぼくは自分の才能を信じない。ただしたいことをして、それがここまで導いてくれたのだと思っている。
あらためて問うに、ぼくの英語は流暢だろうか。はてさて……でも、実地でぼくのプレゼンテーションを聞かれたらさぞがっかりされるだろう。ぼくは頂点にあってあとは下るだけではなく、むしろ途上にあってここからさらに伸びたりもっとステキなところに行けたりするのだというように考えている。49歳ともう若くないぼくだが、こんなぼくなりの真実を書き残しておきたい。