跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/03/02 BGM: The Police - Every Little Thing She Does Is Magic

今朝、お世話になっているあるベテランの英語教師の方がLINEでメッセージを下さった。英語教師の仕事の内実について前にぼくがお話を伺いたいと書いていたので、返信して下さったのだ。容易に知られるように、英語教師として働くということは他者と英語を介してどうか変わるかということだ。だから、他人のことを慮る・思いやる気持ちが大事ということになるだろう(流行っている言葉で言えば「他力」だ)。学びにおいて、相手が関心を持っていることはなんだろうか? どんなメソッド(やり方)が効果的だろうか? そんなことを、教えるにあたって考えないといけないのだ……そのメッセージからそんなことを思わされた。

英語教師になることは真剣に・慎重に考えないといけない。どうやって英語力を測ったらいいか。今朝、Discordで友だちにぼくの記事(この日記)を読んでもらった。彼らは実際に読んでくれて、正直に・忌憚のない意見をぶつけて下さった。おかしな表現はあるけれど(いや、日本語でだってぼくは「おかしな」ことを言うのだけれど)努力は伝わってくるというのがその骨子で、とてもありがたかった。

そして、思い出す。若かりし頃(いつも「語っている」話なのだけれど)、なにもかもあきらめてぼくはほんとうにひどい、どうしようもない呑兵衛としての人生を生きていた。どう生きていいかわからず、道を見失い「腐って」いたのだった。特に、未来に向けて導いてくれるような希望や夢を失くしていた。世界にはたくさんの、数えきれない成功譚(サクセス・ストーリー)が存在する。至るところにある。ウォルト・ディズニーの有名な至言「夢はかならず叶う」という言葉を思い出す……あるいは「何だって可能だ」とか。成功した人はそんなことを言うのだ。そしてそれらは確かに励みになる。でも、そんな美辞麗句を信じていてもいいんだろうか。

わからない。でも、恥を忍んで語るならば、そんな感じで夢を持つことをぼくは自らに禁じていた時期さえあったことを思い出す。夢を捨てようとして……言い換えればリアリストになろうとしたのだった(「冷笑主義者」だったかもしれない)。夢をあきらめ、今日を生きろ! でも、いまぼくはあたらしい夢を持ち始められているような気もする。白昼夢?

午後になり、微信(WeChat)を使って中国の女友だちと明日の午後トークする約束にこぎつけた。夜になり、ロシアの友人ビクトリアさんが開かれたzoomのミーティングに参加する。でも、紙幅が尽きてしまいもう書けそうにない……とてもおもしろかったミーティングだった。1つ言えること、簡明な事実……ぼくは1人ではない。過去、呑兵衛だったころ、ぼくは希望なんてぼくの人生において皆無だと思いこんでいた。ああ、見捨てられた存在……でも、確かに「何だって可能だ」ということなのかもしれないとも、こう書いていて思う。いま、この状況がとてもありがたい。