跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/11/01 BGM: Tricky - Aftermath

昨日も書いたのだけれど、今朝ぼくはイギリスの女性とチャットを楽しんだ。彼女はぼくの話を熱心に聞いて下さって、そして声を殺して泣いた。とても……奇跡的だった。ぼくのジョブコーチのことを思い出してしまった。その方も彼女の豊かな優しさを以てぼくのために泣いて下さる方だからだ。でもどうして? なんでそんなワンダフルな人たちがぼくのところに来るのだろう。この乏しい優しさしか差し出していないというのに。この日記でも前に書いたけれど。ときどきこれは全部リアリティショー(つまり「どっきり」)なんじゃないかと思ってしまう。夢のようなものというか。

今朝、ぼくはZOOMでミーティングに参加して友だちとおしゃべりに興じた。英語を使って、日本の「方言」「訛り」について話した。この町に住んでいると、ぼくは訛った日本語を使う。でも東京かどこかに行くとそうした訛りは消えてしまう。この事実はぼくが環境によって染まりやすい人間だということを示している。なら、ぼくは英語を使い始めたら英語の波動に染まっても不思議ではないということになる。ぼくの英語はどう映っているのだろう。

午後、ぼくは9日に行うミーティングに向けて原稿を書き始めた。それは「高学歴発達障害」についてだ。彼らはとても、飛び抜けて賢い(ギフテッドと呼ばれうる人たちかもしれない)。でも、彼らは人生において障害を感じている。ググって、そして子どもたちの8.8パーセントが発達障害でありうることがわかった。大人の発達障害者は人生をどう生きて、作り上げていったらいいのだろう。

そして、ついにぼくはブレット・イーストン・エリスアメリカン・サイコ』を読んだ。とてもやっかいな代物だった。情報の束というか何というか。でも、注意深く読む必要があった。細部において風刺が利いていて侮れないものだったからだ。この現代生活を正気を失わずに生きるにはどうしたらいいのか。現代の優れた作家たちは(というか、ぼくの好きな作家たちは)この問題を探求していると思う。