こんなことを書けば口さがない人から大笑いされるとも思うのだけれど、ぼくはあの当時、40を過ぎても独立できず親と同居して暮らしていた。酒は止めたばかりだった。そしてミーティングがあって、そこで月イチのミーティングに参加するようになって、シェアハウスに住まわせてもらうようになりそこで自炊を試み始めて味噌汁を作ったりお米を炊いてみたりして……洗濯はいまでも続けられている。風呂にもきちんと入るようになった(こんなベーシックな、常識的なことさえ酒に呑まれていた頃はできていなかったのである)。まさに人とのつながり、関わりによって可能となったことである。「もし」「たられば」は危険かつ無益なことだけれど、それでも「あの日、あの出会いに恵まれていなければ」と思ってしまう。あの日、「いえ、ぼくはミーティングは苦手なので遠慮します」といって家に引きこもっていたら? そうすればいまのジョブコーチの方、あるいは他の友だち・仲間との出会いもなかったはずだ。自立への足がかりもつかめなかっただろう。そう思うと「出会いの力」「コネクションの力」の神秘・奥深さについて思いを馳せてしまう。人は人と関わることによって、傷つきもするけれど確実に強く、また大きくなれる。そうぼくは確信する。
ときどき「自分はどうしてこんな大きな声で、堂々としゃべれるようになったのだろう」と思ってしまうことがある。もっとぼくは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のシロツグ(森本レオ)のような静かな訥々とした喋りにあこがれていたのだった。いまのぼくはでも、ガヤガヤとしゃべる人間になってしまった。40歳のあの「出会い以前」の頃……人前でしゃべる度胸・自信なんてこれっぽっちも持っていなかった。まして英語でしゃべるなんてとんでもないことで、母からも「お前はなんでそんなに自分に自信を持てないのかなあ」と言われたことがあった(いまでもこれはぼくの傷に……というと違うけれど、でもこれに関しては思い出すと赤面してしまう)……それがいまやこんな厚顔無恥な人間になってしまった。それはこの8年間のその「発達障害を考える会」との関わりを通して、つまりその関わりあってのことだ。先にも書いた、自炊を学んだりEvernoteの使い方を学んだり、近所の山にメンバー同士で遊びに行ったりぼく自身のアルコール依存症について告白したり……そんなことを8年間を通して行ってきた。それが少しずつ、こんな風にぼくを変えたのだ。人は変わる。そして世界だってそれに応じて変わりうる。常識すら変わる。
いま、ぼくは自分自身を誇れる。このミーティングを通して確実に変わった自分自身に自信を持っている。そんな自分自身を晒せることに誇りを持つ。でも、これはこのグループの活動あってのことだ。人は変われる。誰だって変わりうる可能性を秘めている。これもぼく自身の確信だ。そんなことをウェブサイトを通して(つまりこのグループの活動を「可視化」「見える化」することで)もっと世間にお教えしたいと思った。日本のみならず世界的に発達障害はこれからの社会問題のトレンドの1つとなるだろう、とぼくは信じる。発達障害を考えることはLGBTQやポリティカル・コレクトネスを考えたりすることと並んで「人の多様性」「人間が持ちうる潜在的な能力/可能性」を考えることだ、とも思う……またしても話が難しくなってしまった。ひらたくまとめれば、ぼくは自分を語りたい。変わってきた自分、ここまで変わった自分を示したい(いや、当たり前だけどぼくは「自分が完璧超人だ」なんて言うつもりはこれっぽっちもないです)。これから録るつもりのPodcastや、可能ならその「発達障害を考える会」のサイトでこうしたことがらについて発表できればと思った。そんな感じで今日を閉じた。