跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/29 BGM: BONNIE PINK - 犬と月

今日は遅番だった。昨日の朝、ZOOMでの英会話関係のサロンのミーティングでこのぼくの日記について「ほんとうに正直に書いておられますね」と言われたことを思い出してしまった。そのように「まっすぐ」「真剣に」読んでいただいていることがぼくとしては嬉しく、ありがたく思われた。過去のことを思い出す。実を言うとぼくは昔、こうしてウェブ日記を書く際にいかに自分が「クールな」「イケてる」人間であるか表現することばかりに腐心していた時期があったのだった。20代の頃、つまり20年ほど前のことになるだろうか。当時ぼくは宮台真司にハマって彼のように自分が「強者」「超人」であることを示すことこそが「クール」であると考えていた。別の言い方をすれば「苦悩する自分」「弱っちい自分」を隠すことが大事なのだ、と……それで、プロの文筆家を気取ってずいぶん他人を叩きのめして溜飲を下げたりもしていた。優越感を競うゲームに乗っかっていた、という話になるかもしれない。いまは自分はつとめて「自分が自分であればOKかな」と思うようになり、弱みも強みも自然に見せられるようになった。というか、ぼくはどうも何かを「演じる」ことができず、結果として正直に書くしかなくなってしまうようなのだ。

過去、宮台真司のような「論客」「クールガイ」になりたいと思っていた時期があった……そんな理想の「キャラ」「ペルソナ」にあこがれ、この自分自身を否定して「『ネットの理想の自分』と『現実のイケてない自分』」の二重人格的な人生を歩んでいたことを思い出せる。実にしんどい時期、みっともない自分を晒していた時期だったと思う。一歩間違えればそれこそ調子に乗り過ぎて、ソーシャルメディアSNS)で炎上なんてこともありえたはずだ。難しく言えば「ぼくを褒めて!」な心理、「承認欲求」に取り憑かれた心理によって突き動かされていた日々ということになろう。そうして宮台真司にあこがれて強い自分を晒すべく努力していた時期を経て、その後自分の苦悩や希死念慮を晒す時期を経たりもして(ネットで平然と「死にたい」「もうダメだ」と呟いたり叫んだりしていた)……それがでも、どうして「いま・ここ」にいるこの人間のような自然体の穏やかな人間(と、少なくともぼくは自覚している)になれたのだろう。わからないけれど、「それが大人になることの意味なのだ」ということで片付く話でもあるのかもしれない。ともあれ、いまはぼくはこの自分で満足できていて、満ち足りているとも思えるのだった。これ以上求めるとバチが当たるかな、とも。過去のことを思い出す……ぼくはずっと他人のようになりたいと思い、あこがれてムダな努力をしていた。哲学書を何が何でも多読・濫読しなければと思ったり、ネットで(下品な話題になるが)ナンパというかガールハンティングをしてみたり。いや、誰かにあこがれたり自分自身を変えたいと思ったりすること自体が間違っているわけではないだろう。ただ、ぼくは自分自身というものは「徐々に」「漸近的に」変えていくのが現実的だと思う。まるごと人格を改造して別人になるなんて発想は危険過ぎる。それより、「いまここにいる弱っちい、欠点のある自分」を認めて、そこから少しずつネジを緩めたり締めたりしていくように調整していくということ。これは(ぼくは政治のことは素人もいいところなのだけれど)「保守主義」の考え方にも似ているのではないか。革命を起こしてドカンと世をひっくり返してしまうのではなく、いまここにある世の中についてそのすべてが「伝統」につながっていることを認め、いいところをいいところとして認めた上で徐々にベターにしておくこと。それは時間がかかる。コスパも悪い。でも、その方があとあとダメージもプレッシャーも少なくて済むのではないかと思う。今日はジョブコーチの方と面談する機会があった。そこで、ぼくの金銭管理や食事、睡眠や職場での困りごとといったことがらについて話し込む。ぼくの話すことについて1つ1つていねいに聞いて下さり、それについて親身にアドバイスを下さる。時には怒り、喜びを示して下さって……過去、この職場でどこにも頼れる人(つまり味方になってくれる人)がいないと思い込み、自分1人で問題を解決しようとして精神的に破綻して薬を一気飲みしたことを思い出す。そしてそのジョブコーチの方のみならず、いまぼくとつながって下さっている方々がブレイディみかこの言葉で言う「エンパシー」「共感」を示して下さる、そのことにほんとうにありがたみを感じる。ああ、ぼくはどこに行っても「アホ」「間抜け」と言われておみそにされたりいじめられたりして、だから自分は愛される資格もなく一生日陰者として生きないといけないのだとも思った。でも、世の中は広い。こんなふうにぼくのために泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりして下さる方だっているのだ。その「エンパシー」の力について考えさせられる。夜、帰宅途中に少し中秋の名月を鑑賞して季節の移り変わりについても思いを馳せた。そんな1日だった。