晴れて今日から、今シーズン(8週間)の英会話教室が始まる。この教室はぼくの住む市の国際交流協会が主催するもので、だから料金も一般的な英会話教室と比べるとそんなにかからない。先生たちはぼくの町の学校で教えるネイティブの方々だ(俗に「ALT」と呼ばれている人たちだ)。教師として日中に仕事をしたあと、夜に行われるこの英会話教室においては疲れもあるだろうに彼女たちは実に元気に、誠実に教えてくださる。そこに彼女たちのプロフェッショナリズムを見出す。尊敬の念を禁じえない。
今日のレッスンでは、ぼくたちはお互い自己紹介をし合った。他のメンバーたちにぼくのことを教える。デパートで働いているということ、アメリカ文学を学んだことがあるということ、などなど。こうした雑談はぼくは謙遜ではなくほんとうにド下手なのだけれど、それでも英語でいろんなことを話せた。たぶんこれはぼくが日頃行っている修練のせいかなとも思う……ぼくの英語の練習は確実に役に立っているということかな、と。それが嬉しかった。
思い出すのは、過去にぼくはほんとうに弱っちいヘタレだったということ。心の中でいつも焦燥感・劣等感にさいなまれ、肝心の「自分の英語はどう下手なのか。どう上手くなりたいのか」という事実の見極めから始めるというそんなことさえできなかったのだ。思えば、ひどい誤解をしていたと思う。どういうことかというと、こうした英会話教室のことを過去にぼくは「コンペ」「競い合い」の場のようにも思っていたということだ。他人より上手く喋りたい、他人に見下されたくない、という思いにさいなまれていたというか。当たり前だがこの世にはぼくよりペラペラな人なんてゴマンといるわけで、そんなことが人間の価値を決めるなんてことはまったくもってありえないのである。
少なくともぼくにとっては、「自尊感情」(シンプルに言えば「自分に対して持つプライド」)の意味とはそういうものだ。競い合わず、ここにいる自分をただありのままに晒す。いや、たしかに競争心(人を見て刺激を受けて、あんなふうにうまくなりたいと思うこと)はもっと英語を学ぶ起爆剤になりうる。上手い人に刺激を受けて奮起することはもちろん悪いことじゃない。でも、ぼくとしては比べるなら過去の自分と虚心に比べ、そこからいまを見直すことにしたいとも思う。ビギナーだった頃に、どう学びにおいて困ったか? そこから、ここに至るまでどんなふうに歩いてこれたか? 過去といま、どう進歩したと言えるか? たぶんこれは断酒会や他のミーティングにも言えることだ。他人と比べず、自分と比べる。
あらためて言うと、ぼくより上手い人なんて山ほどいる。そういうものだろう。それを嘆いても始まらない。ぼくは我が道を行く。一歩ずつ、もっと大きな人間になるために……。