今週のお題「名作」
今日は休日だった。今朝、グループホームの副管理者の女性にお会いしてぼくが抱え込んでいた問題を話す。この日記でもつねづね書いてきたが、ぼくは女性に関する欲望を抱えてそれと始終取っ組み合っている。だが、もちろんそれは現実的な話だとはこれっぽっちも思えないような、ここではあからさまに口にするのも恥ずかしいような次元の妄想だ(だからそんな現状認識と、一方で確実に存在するわいせつな妄想で頭がそれこそ破裂しそうになって困っていたので、その信頼の置ける女性にお話しすることにしたのだった)。その方は優しく聞いて下さったので、ぼくは(いったいどこからどんなふうにこんな妄想を打ち明けていいかわからず、またこんなことは支援の範囲内に入ることなのかも見当がまったくつかなかったりして苦労したのだけど)、なんとかあらいざらい話すことができた。さすがに平たくはここでは書けないが、そうしたことを打ち明けていくうちに子どもの頃の思い出のトラウマに近づくことができた。当時、どう自分が独りぼっちで苦しんでいたのか話せなかったことが蘇ってきた(とりわけ10代のあの日々のことが)。そんな日々、村上春樹『ノルウェイの森』を皮切りに本を読みあさって孤独を癒やすしかなく、結果としてこんなふうな歪んだ人間になったのかなと思える。いまは友だちがいる(その副管理者の女性も、ぼくの信頼の置ける「友だち」と思う。僭越かな)。1人の時、ぼくは自分の中にまだ存在する子どもの頃の自分にこう言い聞かせる必要があるかなと思った。「だいじょうぶ。そんなふうに苦しむのは健全な人間の証だから」と。
そのお話が終わったあと、昼寝をした(あまりにも大きなことを「吐いた」ので疲れていたのだった)。午後、Discordで友だちが悲しい知らせを教えてくれた。ぼくの好きなアメリカの小説家の1人であるポール・オースターが亡くなったというのだ。過去、彼が記した綺羅星のような作品群に触れて過ごしてきた記憶がよみがえる。『ガラスの街』『幽霊たち』『孤独の発明』『ムーン・パレス』(いずれも、柴田元幸によるみずみずしい日本語も相まってできたすばらしい傑作と信じる)。大学に在籍していた頃に四畳半のアパートで『ムーン・パレス』をむさぼり読んで過ごしたことがよみがえってきた(いまでもぼくは「推し」の1作として『ムーン・パレス』をオススメできる。ぼくにとっては「クラシック」な1作だ)。
あるLINEグループにおいて、このニュースを友だちとシェアした。ある友だちが映画『スモーク』の話をしてくれた。思い出す……ウェイン・ワン監督、ウィリアム・ハートとハーヴェイ・カイテルが主演、そしてもちろんオースターの原作・脚本という実に豪華な映画だ。この映画をリアルタイムで観た90年代がよみがえってきた。この映画からトム・ウェイツやルー・リードを知り、オースターを読み込んだりしたっけ。現代生活において大事なこと・重要なこととはなにかについて教わったとも信じる。人とのつながり・思いやり……どうしたって陳腐な表現になるが、そうしたベタな人情噺の傑作とぼくは信じる。
そんなショックがあってか、ぐったりしてなにもできず今日は終わった。断酒会にはかろうじて行けたものの、ベッドで寝転がってゴロゴロ過ごして終わった。オースターの作品を読み返すべきかな、とも思う。合掌。そして、ありがとうございます。