休みだったのでイオンに行き、ポール・オースター『幻影の書』を読み始めた。ポール・オースターは好きな作家で、大学生の頃に『ムーン・パレス』を読んで気に入って以来、彼を一躍有名にした「ニューヨーク三部作」を主にいろいろと読み進めてきた(「いつも」読んでいたというわけではないにしろ)。彼の作品は純粋にそのストーリーテリングにおいて面白く、彼が持つ知的な側面と「天然」とも言える語り部としての体質がドッキングして独自の世界を見せていると言える。『幻影の書』も実に面白い本だった。
『幻影の書』はひと口で言えば「喪失と再生」をめぐる物語である。妻と子を飛行機事故で亡くした男がヘクターという喜劇俳優の映画と出会い立ち直る。そしてヘクターをめぐる本を書く。それが奇縁となってヘクターと会うことになり、ヘクター自身の「喪失と再生」に立ち会うことになる。オースターが書く「喪失」は本当に徹底していて、どん底まで登場人物たちは堕ちる。オースターは本物の絶望を知っているのだな、と思う。そしてそのどん底をサヴァイブしてきた、私が思っている以上にタフな作家だと。そんな作家が描く再生はなんと力強いことだろう。この作品が持つユーモアに唸らされた。
今年、私たちはウィリアム・ハートを失った。彼が「喪失と再生」を経験する作家を演じた映画『スモーク』を思い出す。この映画もオースターが原作を手掛けており、さながら「大人の人情噺」と言うべき映画として結実している。また観直してみるのも面白いかなと思った。いや、同工異曲ではあるのだ。妻と子を亡くした作家、ゆえに傷心を抱えた作家がまた書けるようになるまでを描いたという点で共通しているのだから。しかし私は『スモーク』を私のオールタイム・ベストから外すことはないだろう。私の映画の好みは本当に変で、もっと言えばアホな趣味だが私はもとよりシネフィルなど名乗るつもりはないので「これでいいのだ」なのだった。
ああ、『ムーン・パレス』を読み、やはりこの作品でコロンビア大学の学生という身分から全てを失くして、キティというガールフレンドとの出会いから立ち直ったマーコという青年の冒険を読み進めた日々を思い出す。村上春樹といい、私はこういう「喪失と再生」、絶望から回復する人物を書いた作品に弱い。私もまた早稲田から自殺未遂を経て、死ぬことばかり考えて酒に溺れて、そして再び生きることを選ぶようになった過去がある。黒澤明『夢』ではないが、こんなロクでもない時代であっても生きることは尊いと思う。そうだな……『スモーク』や『夢』といった映画を観直してみるのもいいのかもしれない。前にオースターに捧げる小説を書き進めていたのだが、これもまた再開してみようか。