跳舞猫日録

Life goes on brah!

英語なんかこわくない 6

今日、ぼくは英会話教室に行った。この英会話教室は市の国際交流協会が主催しているものだ。先生は2人おられるが、どちらもアメリカ出身で今市の中学校で英語を教えておられる方々。彼女たちは教壇に立つ経験を積んでいるベテランの教師たちなので、ぼくたちにも聞き取りやすい英語でいろいろ陽気にかつ丁寧に話して下さった。ぼくも久しぶりに楽しい時間を過ごせた。隣に座られた方と挨拶をして、自分がどうして英語を学ぶのか教え合う。その時、時折何だか尻込みをしてしまって積極的に輪に入ってこれない人がいるのを見かけた。確かにこうした英会話教室は「お試し」ができないから「思ってたのと違う」となることはあるだろう。でも、これはもったいないと思う。

ああ、ぼくもまた英会話教室で妙なプレッシャーを感じたことがあったっけ。ぼくの発音はネイティブのそれとはぜんぜん違うし、話し方だって(自閉症のせいもあって)ぎこちない。先生たちは気を遣って下さっているのではないか、内心バカにしているのではないか……そんなことまで考えたこともあった。もちろん、こんなひねくれた態度で出席するのは端的にクールじゃない(道義的に正しいかどうかも大事だけど、こうした自分の中のセンスで「クールかクールじゃないか」を考えることもぼくは大事だと思っている)。今は「そんなバカなこともしたな」と思って、努めて自分を開いて英語を話すことにしている。

英会話教室は、まあネイティブ並みの英語を話すことにこだわるならそうそうお手軽に効果が出るものではないと思う。これは残酷な事実だ。でも、英会話教室に行けば出会いがある。先生と出会うことだけではなく、他の生徒とも出会える。志を同じくする人と出会うことがどんなに向学心を煽り立てるものか、ぼくはよく知っている(インド映画『マダム・イン・ニューヨーク』がまさにそんな映画で、英語を学びたい人はこの映画でたくましく英語を学ぶ女性からヒントを得られるとぼくは確信している。ゆえに一見を薦めたい)。せっかく先生がお膳立てしてくれた舞台を「使わない」のはもったいない。下手な英語でもなんでも練習して喋ってみることが大事だと思う。

今日は第一回のレッスンだったので、ぼくたちは「Two truths and one false」というゲームをした。2つの真実と1つの嘘からなる3つの自分にまつわる文章を書いて、どれが本当でどれが嘘なのか当ててもらうというものだ。それ以外にも、ぼくが大学で英文学を学んでいたこと、ポール・オースター『ムーン・パレス』(ぜんぜんメジャーな小説ではないけど)を好きだと話したことから話が盛り上がった。そう、何事も経験だ。下手な英語だと気まずくなるといったことは心配しなくていいと思う。ましてや、バカにされるなんてことはない。そうされることがあるとするならそいつがクールじゃない。そう思うくらいでちょうどいい、というのがぼくの意見だ。