跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/06/07

今日は休みだった。朝、ジュディスさんがclubhouseで開いたルームに入って少し話す。自分が今島田裕巳『オウム』を読んでいることを話したが、私の英語の拙さもあってうまく伝わったかどうか心もとない。ジュディスさんから見たら「そんな1995年のことをどうして今になってあれこれ考えているの?」と思われたのではないか。『オウム』はしかし、思った以上にいろいろなことを私に教えてくれる。村上春樹オウム真理教に触れて作品世界をどう変化させたかについて一章を丸々割いていて、私も春樹のファン(ハルキストというか村上主義者)として興味深く読んだ。

実を言うと、これまでの人生で一番たくさん読み返した本は村上春樹ノルウェイの森』ではないかと思う。高校生の頃の私のバイブルだった。でも、どうしてそこまで村上春樹イカれたのか今になってはよくわからない。ただ、彼の世界では外の世界に「僕」が違和感を抱いて(『ノルウェイの森』では60年代の日本の空気にのめり込めない「僕」の孤独を描いて)、そこから距離を置いて親密な女性との交際を楽しむ、その孤独感やわかりあえなさに惹かれたのだと思う。「僕」と外界、そして女性。この三者の関係から彼の作品を読み解けそうな気もする。

島田裕巳の分析では、80年代にバブル景気が到来し日本中が狂乱の時代を迎えたとある。マネーゲームの時代であり、物質主義の時代でもあった、と。私が物心付いた時はもうそんな時代は終わっていたが、90年代の混迷の中何を信じていいのかわからなくなって途方に暮れた人たちがオウムに流れていったその心理は私もわかる気がする。私の場合はオウムではなく村上春樹の小説に救いを見出したのだった。結局暮らし向きはよくならず、「失われた30年」と言われる時代を「さまよえる世代(ロスト・ジェネレーション)」として生きたわけだけれど……。

市の国際交流協会が催す英会話教室が始まった。私も参加する。そこでいろんな方と出会う。ALTの先生2人は英語も聞き取りやすく、さすが普段から教鞭を執るだけのことはあるなと唸る。私はいつも通り自分が自閉症発達障害者であることを話す。ゆえに考え込んで会話の中に「間」を作りがちなこと……隣に座られた方は積極的に私に(日本語でではあったけれど)話しかけて下さった。おかげで楽しいひと時となる。参加者の中にイギリスの音楽に興味を持っている方がおられたので(私の子どもでもおかしくない年齢の人だったが)、私も「実はぼくもイギリスの芸術、特にバンクシーのアートやマッシブ・アタックの音楽が好きなんです」と話しかけてみようかととぼけたことを考えた。