跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/06/20

今日昼に、英会話教室で知り合った方とお話しする機会があった。その方は私の英語力を認めて下さって、市内の施設で行われている英語関係の集いを紹介して下さった。もちろん、非常にありがたいことだ。来月3日にまた集いがあるということなので行ってみようと思う。ああ、早稲田で英文学を習っていた頃はまさか英語を鍛えることがこんな風に自分の人脈を広げることになるとは想像もつかなかった。施設に行ったら、私自身の英語力がどれほどのものか見てもらえたらと思っている。果たしてどういう結果になるのだろう。

それで、前々から思っていたことなのだけれど私は英会話教室で自分の来歴を明かしてみてもいいのではないかと考え始めた。つまり、早稲田大学第一文学部英文学専修というところで英語を学んだという話をしてもいいのではないか、と……私は実を言うと、このことは英会話教室で伏せていた。明かすきっかけがなかったからというのもあるし、私は元来「早稲田」の3文字を口にしたら態度が変わる類の人というのが苦手なのだった。私はどこの大学を出たかということはその人の本質を見抜く上で大した材料にはなりえないのではないかと思っている。

私の本質はどこか。自分からこういうことを言うのも変だが、私という人間は宍粟市の生活を気ままに楽しんでおり、ウィトゲンシュタイン村上春樹を尊敬しゴダールの映画に興味を持つ、そんな人なのだと思っている。小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』を愛聴し浅田彰のコラムを読み、平凡な生き方を好むそんな人なのだと。それが私の本質なので、「早稲田」のことはことさらに明かす理由もないように思って今まで語らなかった。でも、自分をオープンにするという意味で(もちろん自慢するのではなく)ひとつ言ってみるのもいいかな、と思い始めたのだった。

前にも書いたかもしれないが、私は「早稲田」に行きたいと思ったことはなかった。入れるわけがないと思って諦めていたというのもあるし、入って何をしたいという野望も欲もなかったのだ。だが「どうせ人生一度きりなんだから」と思って受けたら受かったので通ったという、当事者の視点からすればそんな話である。すごい、ということで言えば今ミーティングでつながらせてもらっている人たちの方がよほどすごい。世界情勢に詳しかったり、メタバースについていち早くチェックしたりしている。そういうストリートワイズとでも言うべきものに私は憧れてしまう。