跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/09

今朝、思い出したことがある。大学生の頃のことだ。すでにいじめに苦しんだ十代は過ぎてしまっていたが、そこから得た生きづらさはどうにもならず、私自身どこに原因があるのかわからないままつらい日々を送っていた。まだ自閉症スペクトラム障害のことも知らなかった。とあるメーリングリストで「なぜ人は自殺してはいけないのですか。死にたいなら死んでもいいのではないですか。ぼく自身も死にたいと思っています」と投稿してしまった。すぐに自殺を止めるメールが幾人かから届いた。ああ、私の行動は実に浅はかだった……。

私は知らなかったのだ。最愛の人、あるいは近しい人が死なれることがどれだけのショックをもたらしうるかということが。そのショックは決して軽視し得ない。あまりにも私の世界は自分の内側だけで閉じており、自分しか見ていなかったことがわかる。実を言うと今も自殺のことを考えなくもない。だが、今は当時とは違う。大事な人が何人も居る。いじめに苦しんだ時期は私の自死を人が笑ったり喜んだりすると想像したこともあったが、今は大事な人の存在をこの皮膚を通して感じることができる。そのことを思うとつまらない理由で生きることを諦めたくない、と思う。

ああ、人生をもしかしたらナメていたのかもしれない、と思う。自分の自閉症スペクトラム障害についても「どうってことない」と思ってしまっていたのかなあ、と……いずれにせよ自分を責めても何も出てこない。もちろん反省はする。そして、この失敗について人と話し合って再発防止策を練るしかない。こうした立ち直りに関しても、発達障害を考えるミーティングで出会った人の影響で何とかこなせるようになった、かもしれない。そう考えると自分自身は少しは前に進めているということかなとも思った。とにかく、生きている以上は生き延びることを考えたい。

近々行われる「ふれあい祭り」で英語関係のことでボランティアとして動いてほしいとオファーをいただいた。英会話教室で知り合ったとあるALTの先生と一緒に通訳を行うというのが骨子だ。やったことがないのでもちろん自信はないが、簡単な英語でいいということなので引き受けた。次々といろんな出来事が起こる。それにあくせく対応する。そうして日々はめぐる……英語でメモパッドにメモを書き始めた頃から自分の英語は向上しただろうか。ああ、ジュディスさんとの出会いといい、英語にはいつも救われている。英語を使ったアクティビティが端的に楽しい。楽しければそれでいい……そう、これでいいのだ!