跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/11 BGM: Green Day - Wake Me Up When September Ends

今日は遅番だった。朝、イオンに行きそこのフードコートで詩を書く。その後時間があったので、明日Discordのイタローさんのラジオの席で話させてもらう内容についてあれこれ考える。ひどく抽象的な、雲をつかむような話になるのだけど「どうやったら英語を披露する上で『自分自身に自信を持てる』ようになるか」について話させてもらおうか、と……もともとは英語について、ぼくの勉強法や英語にまつわる思い出話/よもやま話を話したかったのだけどだんだん考えが変わってきた。そうして英語を学ぶことのベースに「適切な自尊感情」がないと英語をいくら勉強しても身につかないのではないかと思ってしまったのだった。だとしたらどのようにしてそうした「適切な自尊感情」を自分の中に築き上げていくか……そんなことをあれこれ考える。実にラジオでは収まらないような大きな話になりそうなので、話すことを絞っていかないといけないようだ。ぼく自身はどのようにして自尊感情を築き上げてきたのだろう? どのようにして自分を受け容れ、愛して英語を話すことを(必要以上に)物怖じしなくなったのだろう? そんなことについてもぼんやり考え始めた。過去、自分の英語にぜんぜん自信が持てずひきこもって過ごしていた日々。そこから人に薦められて英語を披露し始めて、そして褒められてうれしかったこと……。

自分の英語に自信が持てず、「留学したこともないから」「自分は田舎者だから」と過去にさんざん自分に劣等感を抱いて、引っ込み思案に生きてきた。英語のみならず、ぼくはいじめに遭ったり発達障害が原因で「変人」「ひねくれ者」と見なされたりしてきたのでそれでその他者の評価を織り込んで「そうだ、自分はダメなんだ」と思ってしまったりした。もちろんそうして他人の評価に敏感であることは大事なことだけれど、他人に振り回されて自分を見失うのも現実的とは言えないのではないか……そんなことをあれこれ考える。いまぼくが参加させてもらっている英語関係のミーティングのことを考える。川真田さんという方が主宰されているそのミーティングでは、毎回参加された方のユーモアや寛容な態度に救われてポジティブなエネルギーをいただいている。ひょんなことから参加するようになったミーティングなのだけれど、そこでは話せない人を足蹴にしたり見下したりするトゲトゲした空気はない。それがぼくにとって居心地がいい。川真田さんのそのミーティングだけではなく、過去に参加していたインドネシアのジュディスさんのclubhouseのルームやその他英会話関係のミーティングもそうした、実にアットホーム(これは和製英語だっただろうか)な雰囲気だったことを思い出せる。

ずっと過去を振り返ってみるとそもそも学生時代自分はぜんぜん勉強もせず、英語にしたって「こんなことを勉強したって何にもならない」とツッパっていた。日本に住んでいれば容易に知られるように英語を話せるということにある種特殊な価値が置かれている。ひらたく言えば、英語を話せることは賢いとか社交的とかいう話になる。それがこの日記で最近折に触れて書いてきた「英語力と人間力」をめぐる話につながってくる。ぼくは、人間の価値は英語を話せるかどうかといった基準「だけ」では決まらないと思っている。もちろん話せないよりは話せたほうがいいのかもしれない。でも、そう言い出せばぼくはフランス語やドイツ語なんてぜんぜんできないし、ほかにもまったくもって手も足も出ないことがいくらでもある(たとえば、ぼくはバリバリの文系人間だった。だから数式を駆使した理系の学問に関しては中学生にも劣る計算能力の持ち主なのである)……あれ、何の話をしていたのだろう。まあ、何はともあれ学問を学ぶことは自分の限界を見極め、世界の神秘に触れていくということで大事なのだと思う。でも、それがただの優劣を競う競争(コンペティション)になってしまっては「肩がこる」だけだ。

といったようなことをあれこれ考える。いや、何だか悟り済ましたようなことをあれこれしたり顔で述べてしまっているがぼくだっていまだ「若輩者」でしかない。そうして英語のメモにいつものようにここまで考えてきたことを書き留める。その合間に片岡義男の『日本語と英語』を読んだりして過ごす。英語のこのメモも、思えばあのコロナ禍のバタバタしていた日々に姫路の東急ハンズに行ってそこで見つけたマルマンのニーモシネのメモパッドに「これだ!」と思って書き始めたのだった。自分にしっくりくる手段を見つけて、あとはそれを根気強く続けるということが大事かもしれない。ざっとそんなことも今度のイタローさんのラジオで話す材料に持っていけたらと考えた……それで思い出したのだけれど、今朝LINEでぼくは自己コントロール能力を褒めてもらった。でも、とんでもない話だ。ぼくは実にいい加減でぐうたらで、うっかりミスやど忘れがひどいのでスマートフォンがなければ予定の管理/マネジメントができない。そうしてできないことを早々にあきらめてしまって、できることにステータスを振り分けて伸ばすことを考えているからそれが人からすればすごいということになるのかなとも思う。いや、あくまで推測でしかないのだけど。