跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/22 BGM: The Slits - Man Next Door

実を言うと今日は休みで、実家に帰ろうと思っていた。お盆期間に帰省できなかったので今日・明日にと思って……だけど今日、歯医者に行かなければならなかったので泣く泣くあきらめることとなった。うまくいかない……うまくいかないということで言えばぼくが畏敬の念を以て折に触れて読み続けてきた書き手である十河進さんの新刊『映画と本がなければまだ生きていけない 2019-2022』が出ていることを今日知った。もちろんすぐにでも読みたいのだけれど、すでに今月松下育男の詩集などを買ってしまっていたのでまた別の機会にということになる。澤田直による『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』も読みたい。そして本以外にもほしいものはあれこれあるし、歯医者だって金がかかるということでボーナスが出ていたのだけれどさっそく現実の苦みを思い知る。いや、別の言い方をすれば48にもなって好き勝手に本ばかり読んでちゃらんぽらんに生きて、それで「本がほしいよ、お金がないよ」と言っているのだから「寝言は寝てから言え」ということになるのだろう……実にたわけた人生を送っているなと思ってしまう。ともあれ、十河進さんの過去の本を読み返すなり今日図書館で借りたフィリップ・フォレスト『洪水』なりを読むなり、買ったばかりの松下育男の本を読むなりしてその人生を満喫したいと思う。

朝、ZOOMを立ち上げてミーティングに参加する。お盆が明けて久方ぶりのミーティング。そこでコロナに罹患した方の話を聞かせてもらう。最近では第9波が起こりつつあるとかすでに起こっているとかで、ぼくの職場でも罹患者が増えていると聞いている。そう考えていくとぼく自身がコロナに罹患していないのは実にありがたいことだ。というか、こんな無防備・無軌道な生き方をしているのに今まで何もなかったのはたんに「運がいい」以外の問題ではないとも思う。ミーティングでは日本語を英語に置き換えたり、日本語の特徴的な敬語の使い方について学ぶ。日本語検定の問題集を素材に使ったのだけれど、実に敬語とは繊細なもの。海外から参加されていた方にどう説明するかで悩む。片岡義男が「日本語は関係性でその言葉づかいが決まってくる」と看破していたのを思い出した。敬語を実に技巧的/テクニカルにあやつり、上司や取引先の方に対して相手の心象を害さず、押し付けがましくならずそれでいて言いたいことを伝えるということがいかに難しいか(あるいはややこしいか)。そんな日本語圏に住んでいるからぼくのような発達障害者は敬語で相手との距離をコントロールできずに衝突ばかりしてしまっているのだな、と思う。

昼、図書館に行く。そこで辺見庸の詩集『純粋な幸福』を借りてイオンに行く。イオンの中にある歯科で治療を受けることになっていたので、それまでの待ち時間をその『純粋な幸福』を読んで過ごす。読み終えて、頭の中が混乱してしまう。あまり横文字を使い過ぎるのももちろん問題があるのだが、まさに活字を読んで「酩酊」「バッドトリップ」したと言っても過言ではない。多種多様な言葉が辺見によって採集/サンプリングされ、一見すると無造作に、しかし実はきわめて戦略的かつ技巧的に並べられていく。そこに並ぶ活字たちとは戦前・戦時中の文献でありあるいは他者が放った言葉であり(たとえばカール・マルクスエマニュエル・レヴィナスなど)、辺見が聞き取った市井の人々の言葉だ。SNSソーシャルメディア)の言葉さえもにらみつけて、辺見は「いま」の日本の風景を街路/ストリートのグラフィティよろしく筆写していく。そうして見えてくる風景に確かなリアルを感じた。その後歯科に行き、治療をしてもらう。長らくほったらかしにしていたこともあって先生に「磨けてない」とこんこんと説諭されてしまう……歯科はそんな感じでぼくにとって、自分がいかに普段「怠慢」「怠惰」なのかを見せつけられるところなのだった。

夜、31日にあるミーティングでのぼく自身のプレゼンテーションのための資料作りに取り掛かった。前にも書いたとおり井上陽水の「少年時代」から始めて、狭い意味・厳密な意味での「詩人」の書いたものは少ないかもしれないけれど、それでもこの国には多種多様な詩がありうることを書いていく。こんなニッチというかマニアックな発表でいいのかどうか不安になってくるが、とにかくも書く。そこで曲の歌詞を引用しようとしたのだけれど、著作権の問題もあって歌詞をなかなか手軽にコピペできない。もちろん、適正な範囲内での「引用」とそれを逸脱した「コピペ」の違いには気をつけないといけない。なのでプレゼンの資料ではそれを踏まえ「引用」で収まるように気をつけたいと思った。辺見庸の『純粋な幸福』についての文をしたため、それをFacebookや自分の詩のブログにアップロードする。そして10時半を過ぎ、ぼく自身の詩を清書してアップロードしていなかったことに気づき(俗にいう「ど忘れ」「うっかりミス」だ)、あわててその作業も済ませた。ああ、発達障害とは何だろう。依存症とは何だ、人生とは何なんだ……と考えつつ今日を閉じた。歯の治療も根気強く、詩も根気強く。