跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/10 BGM: 大江千里 - Gloria

今日は休み。朝、ZOOMを立ち上げてミーティングに参加する。今回は「that is why(そういうわけで)」という言葉から例文を作り、その後日本語検定3級の問題集をみんなで試しに解いてみるという趣向の回となった。問題集の方では敬語について話が盛り上がる。「廃材のリサイクルに『お取り組みになっている』御社の事業に魅力を感じました」という文について……だが、ぼくはいちおう日本語ネイティブではあるけれどこの敬語の使い方は難しく、選択肢を提示されても即答できなかった。それで答えを教わってからも「いや、どういうことなんだろう」「これを説明できるだろうか」とぼくの中で逡巡してしまう。だがそこはさすがというか、他の参加者の方の明確な意見が出てきてようやく腑に落ちた。参加者の方の中に人事採用の経験を積まれた方がいて、その方のお話からこうした敬語(特にビジネス敬語)について話に花が咲く。ぼく自身、就職活動をしていた時に使い慣れない敬語を使わなくてはならず往生したっけ。結局そういう「付け焼き刃」は見抜かれるもので面接から先に進むこともできずに苦い思いをしたことを思い出す。その意味ではほろ苦い回だった。参加者の方のお盆休みの予定などの話も面白く聞かせてもらう。

昼、イオンに行く。そして未来屋書店に行き、宮澤賢治の文庫本『銀河鉄道の夜』を買う。ぼくが買ったのは新潮文庫のヴァージョンだ。買うきっかけとなったのはたまたま本棚を見ていて高橋源一郎銀河鉄道の彼方へ』を見つけて、読み返したくなったからというのがあった。あとはグループホームで料理をされる世話人さんがふと、なにかのきっかけでその「銀河鉄道の夜」の話をして下さったからでもある。今日の詩の中にその「銀河鉄道の夜」の記憶を取り入れ、ジョバンニとカムパネルラについて書き込んでみた。刷り込みとは恐ろしいもので、ぼくはどうしてもこのジョバンニとカムパネルラのイメージとして「彼らが猫である」という思い込みを捨てることができない。これはますむらひろしの漫画やそこから派生したアニメーションの影響によるもので、だから読む時だって細野晴臣によるアニメ版のサウンドトラックを聞いたりしないと調子が出ないのだった。ぼくの記憶を掘り下げればこのようにしてアニメや漫画といった、大塚英志の用語で言うところの「サブカルチャー」が根を下ろしている。もちろんそれはそれで芳醇な体験を約束してくれるのだけど、たまにはそうしたアニメを離れて天沢退二郎などを読むべきかなとも思った。

午後に時間があったので、高橋源一郎のその『銀河鉄道の彼方へ』を読む。高橋源一郎の本をはじめて読んだのはいつのことか。高校時代に『文学がこんなにわかっていいかしら』を読み、もちろん当時のぼくは「文学」について「わかって」いなかった小僧でしかなかったのでずいぶん蒙を啓かれた思いがした。彼の書くものは(主に「リベラル」な思想や詩、古典から新刊まで硬軟取り混ぜた小説作品の)豊かなソースに裏打ちされたものという印象を持つ。今回の作品では宮澤賢治以外だと埴谷雄高中原中也などの叙情的な文学や詩がサンプリングされている。実にみずみずしく、もっと言えば(悪口に響くかなとも思うけれど)「子ども」の小説だとも思った。まだ「おとな」の社会に踏み込み働いたり学んだりするところまで行かず、それ以前のところでぼんやり虚空を見つめながら「なぜぼくは生きているんだろう」「なぜぼくはぼくなんだろう」と考え込んでいる……その謎を、高橋源一郎という作家は手放さないで考え込む。その強度にやられ、実に「大作」「問題作」であるこの作品を堪能することができた。永井均の哲学が好きな人は気に入るのではないかと思う。

夜、FacebookのMessengerを立ち上げミーティングに参加する。今回は参加者の方がパラオに行かれた時の話を聞かせてもらうことができた。どのような政治的・歴史的背景があるのか。どのような人たちが住んでいるのか(住民性、というやつだ)。きれいな海について、食文化について、仕事について……ぼくは肉より魚が好きなのでパラオで捕れた魚や木に茂っているバナナを見て「おいしそうだな」と思ってしまう。日本の地方都市でソーシャルメディアをせせこましく見つめて過ごすぼくの生活と比べればその生活はのどかそうで、もちろん彼の地には彼の地の苦労や困難もあると思うのだけれど「自分の性格となじみそうだな」と思った。いいきっかけで自分の生活を見直せたと思う。その後、詩を清書してアップロードする。その詩と並行して(書ければ週に1度くらい)自分自身の詩や読書について散文を書ければと思いそれもアップロードした。自分の人生はすでに「盛夏」「白昼」をすぎたと実感しているので、姫路にある「みゆき通り」にあやかって(「みゆき」を漢字で書くと「海詩」とも書けると知ったこともあって)その散文のシリーズの題は「たそがれ時のみゆき通り」というタイトルにした。

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