跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/03 BGM: LÄ-PPISCH - Control

今朝、本棚を見ていたらふと小池昌代が編んだアンソロジー『通勤電車でよむ詩集』があることに気づいた。今日はこの本を読もうと思ってカバンの中に入れて、そして出勤する。だけど今日は忙しくてヘトヘトになってしまい、昼休みもかろうじて詩を書いたくらいで終わってしまいそのアンソロジーも読めなかった。夜、夕飯を食べた後友だちとのミーティングが始まるまでの時間に何か読もうかと思ったのだけれどこれもこの酷暑の影響もあるのか、気がつくと「爆睡」してしまっていた……それでミーティングに参加して、その後詩の清書をしてそれをブログにアップロードした後『通勤電車でよむ詩集』を読む。そしてこうして「瓢箪から駒が出る」ことがあるというか、眠っていた蔵書の中から自分に強く訴えかけるものが現れることがあるからこそ積読は止められないと思った。最近はもう本を前ほどバカみたいに買い込むこともなくなり、図書館で借りられて満足できるならそれに越したことはないと思い始めるようにもなった。物欲・所有欲というのも一種自分がコントロールしようとしてできない「天気」のようなものかもしれない。ぼくはそれとクソ真面目に戦うのではなく、むしろ「受け流す」「やり過ごす」ことを(柳が風を「受け流す」ように)覚えたいと思っている。

とはいえ、欲しいという気持ちに導かれて買ってしまうこともある。今日、ぼくは岩波文庫シェイクスピアの『ソネット集』を買った。何を隠そう、大学で英文学を学んでいながら学んだのがアメリカ文学だったのでシェイクスピアとはまともに向き合わずに今まで生きてきてしまったのだった……我ながら実にコスパの悪い、不器用極まりない人生だと思う。大学ではビート・ジェネレーションの詩人たちに憧れたのだけれど、それも結局アレン・ギンズバーグジャック・ケルアックを読むところまではいかずに終わった。しょうがないので、これから読めればじっくり読んでいくつもりである。20代・30代、あの黄金の青春時代をぼくはずっと酒浸りで過ごし、本なんて読む余裕もなく絶望に浸っていた……でも、過去をいくら嘆いてもしょうがないのでぼくなりに「強く生きる」しかない。幸いなことに今は『吠える』や『オン・ザ・ロード』の邦訳も出ているのでこの夏の読書の候補に入れようかと思った。いや一週間後には「やっぱり詩を書くのは止めて今年の夏はウィトゲンシュタインを読んで過ごそう」と思っているかもしれない。それが発達障害の怖いところ、そして面白いところでもあるのだった。

そして、こうした「いきあたりばったり」「無計画」な生き方をこれまで続けてしまったことを思う。ぜんぜん「将来」について考えず、若い頃「今が楽しければいい」「今を濃密に生きるんだ」と居直って生きて泥酔して毎日を過ごした……しまいには通院した先でコンビニで酒を買って呑んで酔っ払った状態で先生のカウンセリングを受けたことさえあった。ここまでの記述を読まれて「察された」方も少なからずおられるかもしれないけれど、読書にしたってぼくは「これからプルースト失われた時を求めて』を完読しよう」とか「これから腰を据えてカポーティの全作品を読もう」なんてことができない。そう試みたって、最初の3日くらいは虚心にその計画に準じて読書をするかもしれないけれど、結局「飽きて」「気が変わって」別のことをしたくなっているかもしれない。こんな人間なので、ぼく自身がぼくのことをまったくもって理解できずいつだって困っている(だからこそ、「もう止めたい」「止めるべきだ」と思いつつ酒に走るのだった)。そんな感じなので、スロットマシンの目のようにクルクル変わる自分に関してつとめて結論を急がず「ドンマイドンマイ」の精神でつきあっていくしかないのだった。いや、冷静に考えたら実に落ち着きのない「おこちゃま」だなあとも思ってしまうのだけれど。

夜、先述したオンラインサロンのミーティングに参加する。今日はフリートークが主で、10月に行われる市のふれあい祭りについて話が盛り上がる。この市の人口も減っている(今、人口が40000人にも満たないそうだ)。交通の便が悪くなかなか来訪できないことが原因だろう。何か「キャッチーな」「魅力的な」ことができないものか……尺八や琴の演奏披露(一種のコンサートだ)のアイデアが出たので、ふと「ぼくの詩の朗読はどうかな」と思った。いや、客観的に考えたら今時そんな「詩の朗読」に興味を持つ人はよほどの「マニア」「好き者」でしかない。即「却下」かなとも思った。でもだったら、詩をプリントアウトしたものや他の参加者のイラスト・写真の展示はどうかなと思ったりもする。フリーマーケットを開くという案も出たのだから、それに合わせてぼくの詩集を冊子としてお見せするということも可能かもしれない……ということをもっと積極的にそのミーティングの席で言えばよかったかなとも後になって反省してしまった。ぼくは空気を読みすぎているのかな、と……と書いてみて、自分がイヤになってきた。詩のこと、読書のことしか頭にないのが悲しい。でも、昨日も書いたけれど「まいっか」の精神で「強く生きる」しかないのかなとも思うのであった。