跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/27 BGM: Bob Dylan - Mississippi

今日は休みだった。朝、早く起きてしまう。この早期覚醒について医師とまた話をする必要があるなと思った。それで、起きてしまうとじっとしていられないのがぼくの情けない性格で、結局そのまま起きてしまって戯れにふたたびルイス・キャロルの詩を日本語に翻訳する。今回訳したものは『鏡の国のアリス』の巻末部の詩で、アクロスティックと呼ばれる技巧が駆使されているのでそれをぼくのつたない日本語に置き換える際工夫が必要となった。読者諸賢の判断を仰ぎたいと思う(と、エラソーに作家を気取ってみる)。そして9時半に図書館が開いたので行って、現代詩文庫の『吉本隆明詩集』を借りる。これまで吉本隆明に関しては完全に食わず嫌いを決め込んできてしまった。『共同幻想論』も『言語にとって美とはなにか』もぜんぜん知らないまま、彼の打ち出した概念も提示した問題意識もノーマークのままなのだった。今回の読書でまず初期に彼が書いた詩を読んでみることでそうした吉本隆明の仕事に触れることになるかもしれないし、ならないかもしれない。齢48を過ぎてこんな風に不勉強や怠慢から来る無知を知り、それにともなって世界の広さを知るという……まあ、それがぼくに課せられた「生きること」「成長するってこと」なのだろう。

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昼、ご飯を食べたあとひと眠りする。その後3時からLINE通話で友だちと話す。その友だちとぼくと、これから行うコラボの話をした。彼はYouTubeのチャンネルを持っており、そこで精力的に動画を投稿しておられる。ぼくの最初のプランとしては「好きな詩について軽く話せたらいいな(そしてそれを動画でシェアできたらいいな)」というたぐいの他愛もない話だった。世代的に共通する音楽、例えばブルーハーツのようなグループの歌詞について(もちろん著作権に配慮して)話したい、と。だが、彼が「踊る猫さん(つまりぼく)もYouTubeのチャンネルで投稿してはどうですか」という話をされて、考えてしまった。いざ動画を投稿するとなると内容を決めないと話にならない。詩を朗読するか、日記に書いているようなことをざっくばらんに話すか、最近読んだ本の話でもするか……ぼくがただダラダラしゃべって、それを何の味付けもしないで放映して終わりだときわめて無味乾燥なものになってつらいだろう。せめて音楽やイラストをつけるとかしないと……とまあそんな感じなので動画投稿はしていないのだった。逆に言えば動画投稿はコンビニの仕事のようにマルチタスクが必要とされる、実に繊細で難しい作業だと思うのである。今回のこの話はそんなわけで、これからの方向性をぼくたちなりに探って「気長に続ける」ことを約束して終わった。

その友だちとも話題になったのだけれど、ぼくは発達障害から来る「うっかりミス」からくる「ど忘れ」に常に悩まされている。ぼくなりに「やることリスト」を書く努力はしているのだけれど、英語でメモを書いてみたりしても「そのメモをポケットから出す『たったひと手間』がめんどくさい」なんてぜいたくな話になるのだった。それで困っていたのだけれど、ひょんなことからぼくは最近シナモロールのメモアプリを使うようになった。このアプリは待受画面(ホーム画面)に貼れるのでスマホをさっと立ち上げるとそれで目に入るし、そこから入力できるのでそんな「ひと手間」が省かれており実に使いやすい。今日も買ったものを記録したり、明日月曜日にお寺で行うミーティングで話したいことなどを整理したりする。裏返せば、ぼくのタスク管理やひいてはライフハックなんてものはぜんぜん戦略的・クレバーなものではない。こんな感じで「偶然」「たまたま」見つけたものをミノムシよろしく拾い集めて形にしているので、威張れたものではありえない。こんなスットコドッコイで間の抜けた生き方・暮らし方というのも実にぼくらしいと思ってしまう。使い始めたばかりなので、うまく行けばまたシェアしたいとも思った。こんな話もYouTubeか何かでしてしまったら誰かからのニーズがあるんだろうか?

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夜、現代詩文庫の『田村隆一詩集』を読む。そのかたわらベトナム人の友だちとDiscordで少し話す。彼が持つ日本語の疑問についてぼくが答えるという展開になり、こちらも熱が入る。彼が教えてくれた記事を読ませてもらう。日本語圏で生きる人びと(もちろんぼくもその1人だ)が、例えば「ちょっと……」というあいまいな言葉を使いこなしてコミュニケーションを行っていることが日本語に相対的に熟達していない人からすると興味深く見える、という話。こうした「日本語はあいまいだ」という話自体は目新しいものではないが、確かにこうした「ちょっと」の使い方はぼく自身「無意識に」「なんとなく」「その時のノリで」決めているというのが正直なところなので、こんな鋭い視点からの指摘は実に面白い。そんなことを話して夜は更けていく……思えば過去、ぼくは作家になりたいだの翻訳家になりたいだのそんな甘っちょろい夢を抱いていきていたものだったが、今そうして言葉に関することをアマチュアなりに考え、詩を書いたり英語や日本語を学んだりして過ごしているということは「三つ子の魂百まで」というか、「金には結びつかないけれど、これがぼくの『天職』『才能』なのかなあ」とも思ったのだった。これも読者諸賢の判断を仰ぎたいと思う。

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