跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/28 BGM: Keith Richards - Crosseyed Heart

今日は休みだった。朝、総合病院に通院に行く。毎月1度恒例となっている通院。20年くらい前に大学を卒業する頃になって、就職活動がぜんぜんうまく行かず卒論も書けなかったぼくは鶴見済人格改造マニュアル』を頼りに市ヶ谷にあるクリニックに行き始めたのだった。爾来今に至るまでこの精神科通いを続けている。今回の通院では中途覚醒の話をしたあとは(それは結局、頓服薬で様子を見ることになった)特に濃い話にはならず、何だか自動車教習所でハンコをもらうような事務的な手続きで終わってしまった。そういう日もある。その後薬をもらってイオンに行き、フードコートでボブ・ディラン『テル・テイル・サインズ』を聴きながら詩を書く。青空が美しい午前の空気に、ボブ・ディランのブルース(だと思う。細かい音楽のジャンルはぼくにはわからない)。そうしたものが感動的に感じられた。最近ぼくはそうしてエリック・クラプトンキース・リチャーズボブ・ディランといったミュージシャンが奏でるブルースを楽しむようになった。ああ、この歳になってそうしてブルースなり詩作なりに何かしら感動を感じられるようになるとは。昔はこんなアラフィフの時期なんて「人生詰んだ」「老後」の時代だとばかり思っていたっけ。

昼に昼寝をして、そしてその後近所の西光寺に行く。そこでミーティングに参加する。参加者の方で1人、息子さんが引きこもり状態で悩んでおられる方のお話を聞かせてもらった。そのお話を聞きながら、ぼく自身のことを考えたのだった。いつも書いているけれど、ぼくは大学を卒業したはいいものの就職がまったく決まらず、それで東京からこっちに帰ってきて半年静養した。今でいうところのニートだったのだ。その後、今の会社に就職した。ただ、実質的にはぜんぜん「働いていた」と胸を張って言えるようなものではなかった。毎日、仕事を手抜きで不真面目に済ませたあとは一目散に近所の酒屋なりスーパーマーケットなりに行き、酒を買いそして呑む。そうすると仕事のストレスが解消された気になって、ついでに言えば疲れも憂さも晴れたような錯覚に陥る。それで眠れる……そんなふうにして若い盛り、人生における盛夏の時期というか青春時代を半分引きこもったような感じで部屋に閉じこもって泥酔して過ごした。だから引きこもっている方の気持ちがわかる……というのはもちろん「甘っちょろい」というもの。だけど、あの「夢も希望もない」「人生詰んだ」と思い込んで生きていた日々とそうした引きこもりの暮らし方は似ていないだろうか。どうだろうか。

あの日々。読書もしていた記憶もなく、映画も音楽も楽しむこともなく、あの頃からゲームは面白さがわからないのでまったく手をつけなかった……じゃ、いったい呑んだくれて何をしていたのか。それがまったく思い出せない。そう考えるとぼくの人生には青春時代もなければ修行時代もなく、20代・30代はただのっぺりとした時間を過ごしただけで終わったと思う。何せ9.11同時多発テロも、東日本大震災さえ記憶にないのだった……ふと、さっき書いたボブ・ディランのことを思い出した。彼の「見張塔からずっと」という曲では「人生は冗談だと思っているやつがたくさんいる」というような歌詞が出てくる。ぼくも同じように、人生はくだらない出来そこないの「冗談」だと思って生きていたのだった。今思えば、そんなふうに「頭でっかち」にあれこれ考えて自滅するのではなく「手を動かして」何かに励むことが必要だったのかもしれない。せっかく実家に住んでいるのだから、「手を動かして」自分が食べたあとの食器を洗うのを手伝ってみるとか。身体を動かすと頭でっかちな思考が生み出す絶望や鬱がまぎれて、事態が好転するきっかけとなりうるかもしれない……ただ、こんなことを書いても誰にも伝わらないかもしれないなとも思う。過去のぼくがこんな記事を読んだら憤ったのではあるまいか。そう考えると「難しいな」と思う。

夜になり、キース・リチャーズが奏でるブルースを聴いたりしながらくつろぐ。31日に行うミーティングのための資料を作ったりして時間が過ぎる……今年の夏も結局、どこにも行かず仕事したりたまの休みを楽しんだりしてそんな感じで過ぎた。「ドカン」とバカンスを楽しむわけでもなく、実に平常運転で……そしてその後、詩の清書を済ませてそして消灯時間を迎える。これが幸せ、というものなのか……田中小実昌『ポロポロ』やフェルナンド・ペソア『不安の書』をパラパラとめくったり、またボブ・ディランを聴いたり。それにも飽きると次に乗る原付を探したりDiscordでチャットしたり。先に書いたように、ぼくには過去の記憶がない。だから「あの時代に戻りたい」と思うことがまったくない。そして、ぼくは明日のこともイメージできない。そんな感じなので「いま」を刹那的に生き、「一日断酒」「今日とりあえず酒を断つ」をモットーに生きる。この生き方は人にはぜったいに薦められないたぐいのものだ。たぶんぼくの脳みそがポンコツなせいで遠い過去や未来について考えられないからこうなるのだろう。でも、こんな生き方でいいのかなと思い始めると気分が暗くなる。ボブ・ディランならこんな問いの答えは「風に吹かれて」いる、と返すのかもしれない。