跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/09/12

BGM: Rhymester "Life Goes On"

今日は遅番だった。朝、ネットフリックスで9.11同時多発テロを扱ったドキュメンタリー『ターニング・ポイント』を観る。実に見応えのある作品だと思った。テロ事件がどのようにして起こったかを描写し、そしてテロが起きた後に生じた人々のドラマについてもこちらに多くを伝える。東西冷戦の構造からテロが起きたと整理するあたり、歴史から学ばなければ見えてこないものもあるということを教えてくれる。そしてテロ直後の好戦的な空気の中でも慎重派の人々が存在したこと(つまりアメリカも一枚岩ではなかったこと)を伝えてくれて実に興味深い。

柴田元幸アメリカン・ナルシス』を読む。アメリカ文学の系譜をたどりながら「自分とは何者だ」という問いについて考える試みが為されており、読みながら読者である私もそうした問いを考えさせられる。「私とは何者だ」という問いに関して答えるのは難しい。ここにいるこの私それ自体が答えなのは間違いないのだけれど、その「この私」自体が私にとって必ずしもすべて既知のものとは限らない。私は私のことをすべて知り尽くしているわけではないからだ。ならば他人から映る私は? 他人もまた私のことをすべて知り尽くしてはいない、ということになるだろう。ならば「私」を知り尽くしている人などいないということになる。「私」とはかくも深遠な存在だ。

仕事に入り、休憩時間に改めてグリーン・デイ「Wake Me Up When September Ends」を聞く。「Seven Years Has Gone So Fast」という歌詞に、私は自分の人生を思い返す。今の仕事を始めてから20年以上。そしてあのテロが起きてから……あっという間に時間は過ぎ去ってしまった。夢のような時間だった。何か変わっただろうか? 私は酒を止めた。そして、徒手空拳ではあるにせよポジティブに物事を捉える練習を始めた。ジャズやブルースを聴き始め、クラシックな文学を読み始めて……ああ、そんな変化が確かに起こったのだ。確かに私は変わった、と言える。

酒に溺れていた頃、私は自分はすでに晩年を生きていると思っていた。人生において最も「おいしい」時代はもう過ぎ去ってしまった、あとは死ぬまで余生をダラダラ生きて、消化試合をこなすだけなのだと思っていたのだった。何だか映画『キッズ・リターン』みたいだ。今になって思うと、ジョブコーチのことや日記を書き始めたことなど40代のアクティビティをまだ始めていなかったわけで、したがって酒に溺れていた頃はまだ人生のイロハのイの時代だったとも言える。今は何だか、自分にとっての「第二の青春」の時期のようにも思う。過去より今の方が若々しく感じられる……ボブ・ディランの曲にこんな歌詞がなかっただろうか?