跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/31 BGM: 高野寛 - ベイビー・ベイビー

もうこの日記を読まれている方なら見当がついているかな、とも思うのだけれど……いつもぼくは毎朝、前日の日記を書いている。なので、いまは2024年の1月1日である。そして2023年の大晦日のことを振り返っている。早番の日で、そして夕食に年越しそばを食べた。それで終わった。ああ、なんと不毛というか無味乾燥な思い出であることか。でも言わないといけない――デパートの従業員として、いまぼくはとても厳しい時期に差し掛かっているのだった。直面し、乗り越えるべき時期だ。

Xで、ぼくは松本人志のスキャンダル記事に関するさまざまなポストを目にした。当のスキャンダル記事が載っている『週刊文春』は購入したのだけれど、ぼくは続報が出るのを静観したいと考えている(あくまでこの件に関しては一読者、一観察者として関わっていることを踏まえて向き合いたいだが同時に、被害者の心情のケアもたしかに考慮したいので難しいところだ)。ぼくはいま、テレビを観ない。単純に興味が湧かないからだ。でも、ぼくはお笑い芸人・コメディアンを尊敬する。彼らの技芸はぼくをたしかに喜ばせる。それもまた認めたい。

そして、それを踏まえて……ぼくは「いじり」と呼ばれる言葉について考えている。英語でどう表現したらいいのかわからないけれど(こういう概念があるのかどうか、ネイティブに訊かないとほんとうにわからない)、ともあれ人が言うにはいまの日本のお笑い(コメディショーやテレビ番組)の主流はそうした「いじり」なのだそうだ。ぼくはそんなに賢くないので、そうした「いじり」で笑ったことは認める。ボスと部下の関係で、ボスがハラスメントとして「デブ」「アホ」と人をからかう。それが「いじり」とぼくは受け取る。子どもの頃からの課題の残りをこなす気分で向き合っている。

ということからもわかるように、ぼくの頭の中はそうしたたくさんのアイデアがぶんぶん唸っている。ゴチャゴチャしていてまさにカオスだ。今日もそんなゴチャゴチャしたことを書きなぐってしまった。2024年、ぼくは49になる。夏目漱石が逝った歳だ。1つのことがらを念入りに考えなければならないとも思い始める。何を生み出せるだろう、この日記で……ボブ・ディランよろしく、「答えは風に吹かれている」と構えるのが現実的なのかもしれない。