跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/15 BGM: Sade - Love Is Stronger Than Pride

今朝、ぼくはFacebookを介していつもの朝のZOOMのミーティングに参加した。話題はフランスでの喫煙の習慣について(フランスでは公共の場での喫煙が禁じられ始めたという)。そしてぼくたちは依存症についても話をした。ぼくは自分のアルコール依存に苦しんだ時期のことを話した。そして、いまのシラフの生活についても。他の方が興味を示してくださった。その関心がぼくにはとてもありがたかった。

今日は遅番だった。今朝、沢木耕太郎の日記『246』を読む。ぼくはいつも読書メーターというサービスで読書の記録をつけている。そして、その記録によるとぼくはこの本を4度読んだらしい。過去にぼくはこの種のノンフィクションを敬遠していたのを思い出す。というのは、ぼくは夢にあふれたファンタスティックな世界を満喫したいと思ったからだ。現実を忘れさせてくれるような世界……フィクションはその意味で、そうした現実をかき消す力・魔性があった。でもいま、ぼくはリアリティこそが奇跡的な要素を持ちえているとだんだんわかってきた。

沢木耕太郎『246』は彼の生活をストイックで生真面目な態度で記している。彼は普通の・平々凡々とした日乗を実にすばらしい硬質の文体で記している。ユニークで目がくらんでしまう。こんな表現をぼくは目指しているのだった。

でも――ぼくは自分自身に問いかける。どうして? ぼくはこの種のきわめて普通な、言い換えれば退屈で平板な本に惹かれてしまうのだろう。いまはぼくはフィクション、マジカルな虚構に魅力を感じない(いや、ディケンズの長編やフィッツジェラルドレイモンド・チャンドラーロング・グッドバイ』には興味が尽きないのだけれど)。この心の中の変化はアルコールを断ったことで生じたとも考えられる。シンプルで、力強い事実を学んだように思う。人生はすばらしい。

そして、ぼくは悪名高きオウム真理教(反社会的カルトとして日本で扱われてきた)を思い出す。彼らはこのくだらない、拝金主義の世界から人を救おうとした。殺人を許す気はない。だけど、彼らの態度には「善」を感じる。このトピックについてももっと書きたい。オウム真理教はぼくの生き方のポリシーに影響を及ぼしたのだと、いまなら肌で実感することができる。