跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/19 BGM: SPITZ - メモリーズ

今日は早番だった。朝、とある方とLINEをする。共通の知人の方が再就職を目指して頑張っているという話になり、そこから「誰も自分の人生を代わりに生きてはくれない」「自分の道は自分で切り開く」という話になった。それを読んで、ぼく自身のことを(いつものように)考えた。過去、ずっとぼくは「この人生は何かの間違いだった」「もう死にたい」「生きていても何もいいことなんてない」と思い込んでいた……だから「自分の道は自分で切り開く」と言われても「それは強者だから言えることだ」「そんなにうまく行ったら苦労しない」とも言っていた。いや、いま思えばそうして斜に構えてクールぶって、「冷笑」を決め込んでいた自分を恥ずかしく思う。いまは「かっこ悪くても、恥をかいてでも生きることには意義がある」と思えるようになった。猪木ではないが、「恥をかけ」の精神で生きること。でも、もちろんそうした変化に至るのは自分1人でうんうん唸って悟りを開けたからとかそんなわけではなかった。上に書いた、LINEで話したその方との出会いや他の方との語らい、そしてそこから生まれた片恋の思い出などがあって、比喩的にいえば「自己解体」があってそして可能となったことだ。

今日、昼休みにまた詩を書こうとして、ふとそこでぼくが意識して熱心に読むようになったポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアのことを思い出した。彼の『不安の書』は(この日記でも度々書いてきたが)ぼくの愛読書の1冊で、折に触れて読んではその濃密な(「コアな」とも言える)内省に感動させられている。そのペソアは「異名」と呼ばれる彼の別人格(早い話が多彩なペンネーム)を使い分け、そして詩を書きまくったと聞いている。そのことを思い出して、ぼく自身の中にも多彩な人格があることに思い至ったのでそれにスピッツよろしく「名前をつけてやる」の精神で名をつけて、リストアップしてみるのもいいかな、と。ぼくの中の多彩なぼく……それはたとえばグループホームの部屋の中にいる時にずっと「エッチなことで頭がいっぱいのぼく」がいて、そうかと思えば「村上春樹沢木耕太郎、あるいは上述したフェルナンド・ペソアを熱心に読むぼく」がいる。仕事に行けばそんなエッチなぼくはいったん影を潜めて「仕事人格」が立ち上がって、テキパキと仕事に取り組む。その他にも詩やこうした日記などをを書く時には「書く人間」としてのぼくが現れるのだった。ただ「いや、これは現実的な考え方ではない」とも言えば言える。この「実は、ぼくの中にはいろんな性格があるみたいで、グループホームの部屋の中にいるとスナック菓子をボリボリ食って『働きたくないなあ』『給付金もボーナスもドカンと1億円くらい欲しいなあ』と思ったりしているかと思えば、仕事に行けば行ったでシャキッとしてしまう自分がいたりもして……」という話をするとだいたいは「それは私だってそうです」「みんなそんなもんじゃないですか」とあっさり片付けられてしまう。そして、そう言われると「確かにそうかなあ」とも思ってしまうのだった。ぼくの悪いクセで難しく考えすぎてドツボにはまっているのかな、と。ただこの「自分に新たなペンネーム(名前)をつけてやる」は1つの「ひまつぶし」「気散じ」としては面白いとも思ったので「エッチな人格には、せっかくだからスピッツにあやかって『マサムネ』と名付けようか(スピッツファンの方に謝らないといけないだろうか)」と思ったり「ならば哲学人格には『インサイト』と名付けようか」「仕事人人格には『周』(『じゃりン子チエ』に出てくるぼくの好きなキャラクターです)と名付けようか」とあれこれアホなことを考えてしまったのだった。そう考えていくとぼくとは何だろうか、ますます謎に思える。そうして整理して「仕分け」できるものなのか、それともぼくとは液状のマグマみたいなものなのか。固体なのか水なのか、分けることは意味があるのかないのか。そんなことを考えていくとフロイトを読みたくなる(実はジャック・ラカンの解説書は読んだことがあるのにフロイトユングは解説書さえ「ぼくの理解力ではわからないだろう」と読んだことがなかったのである)。それで、「せっかくならこれも『ひまつぶし』の一環で読んでみよう」とも思い始めて図書館で借りることを決めたのだった。ああ、こうして「虻蜂取らず」「二兎を追う者は一兎をも得ず」であれこれ手を伸ばしては挫折に次ぐ挫折で、結局何も身につかないなんてことになる……それはそうと、ここまでの記述(書きぶり)を読み返して「我ながらずいぶん難しいというか、もっと言えば『アホみたい』なことを考えているなあ」とも思ってしまったのである。英語を学んだり、哲学を学んだり、仕事をしたりと日々あれこれやっているけれどぼくはずっと「このぼくにしっくりくること」をしている。無理をして、背伸びをして高いところにたどり着こうとする気力も野心もなくなってしまって、結局こんなヘンテコリンな人間になってしまったのだった。ピーヒャラピーヒャラ、踊るヘンテコリン……(いえ、言ってみたかっただけです)。