跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/25 BGM: Underworld - Bruce Lee

ずいぶん自分でもアホなことを考えてしまっていると思うのだけれど、ふと今日「自分にとって『ホームベース』となりうる本」とは何だろうと考えてしまった。この1冊さえあればいい、と思えるような本。もうぼくは48歳。最新の流行を追いかけて汗をかいて新刊をせっせと買い求めたり、という体力も気力もなくなりつつある。これからの人生、ぼくと「伴走」「並走」してくれるような本……となると結局ぼくにとってはウィトゲンシュタイン論理哲学論考』『哲学探究』がそうした本となるのかもしれない。あるいは谷川俊太郎の詩集、村上春樹沢木耕太郎のエッセイ集もそうした本の候補となるだろう。今日もぼくは仕事をこなし、仕事の合間に詩を書きながら谷川俊太郎『朝のかたち』を読み進めた。いつの間にかぼくの読書傾向は流行から外れてしまった。過去、ぼくは読書感想文をせっせと書き記し「書評ブログ」を編もうとしたりもしたのだけれど今は新刊に興味がなくなったので自分の世界をコツコツ掘り下げることに専念している。読めるなら最近話題になっている市川沙央の『ハンチバック』も読んでみたいと思っているのだけれど、ぼくも歳を取り(こんなことを書くと「カッコつけすぎ」かなとも思うのだけれど)「枯淡」「恬淡」とした境地に至りつつある。

ぼくはここ最近、ほんとうに「保守的」になり「日和見主義」になってしまった。読書に関して冒険したくなくなった、と言うべきか。それより何度も読んできたフェルナンド・ペソア『不安の書』や須賀敦子を読み返して安心したい、また「あの文章の気韻」に触れたいと思うようになってしまった。『不安の書』なんて5周くらいしたのだけれど、未だに飽きない。ペソアに関しては近々澤田直による評伝が出るということなので、この詩人の足跡を辿ってみたいとも思い始めている。とはいえぼくの人生、いったい何が起こるか「神のみぞ知る」。谷川俊太郎の詩集にイカれて自分で(酔狂にも)詩を書き始めるということ、ぜんぜんぼく自身予測してなかった。だからこれから何らかの「不意打ち」「アクシデント」が起きて夏目漱石イカれるということだってありうるのだった。ぼくにできるのは、そうした「不意打ち」「アクシデント」に対して自分を開くということだ。ブルース・リーに倣って「考えるな、感じるんだ」の精神で小賢しい思考を捨てて外部に己を開き、そこから得られるものを体感する。そうしていると詩のアイデアだって浮かぶし人生も楽しくなると思う。

そして、ペソア『不安の書』のような散文を書いてみたいとも思い始めている。小説を書くことはぼくにはできっこない。小説は1年ほど同じテーマについて「コトコト」と考えを煮込み続けないといけないので、根気が必要とされる。発達障害者には向いていない。今日は仕事が終わった後図書館に行き、堀口大學『月下の一群』を借りた。そしてイオンのフードコートで英会話教室が始まるまでの時間、谷川俊太郎の詩を読む。彼が実に敬虔に、誠実に言葉と対峙して詩を書いているその姿勢に共感する……そしてここ最近、自分が多彩な日本語に触れていることを実感する。文語体というか、「典雅」な日本語から「俗」な日本語に至るまで。自分から生まれる日本語はそうした言葉がシェイクされて出てくるということになる。でも、ぼくは自分の中を見渡してみても「空っぽ」としか思えない。言い方を変えれば「素直」ということになるのかもしれない。ぼくはこれといってテーマを持たず、その時その時思いつくままに詩を書く。それでいいのだろうとも思う。心の赴くままに書く。特に今はまだ「習作」「修業時代」でしかない。50代・60代もこのノリで書き続けられたら、あるいは何か傑作が書けるかもしれない。今はただ練習あるのみ。

そして夜、英会話教室に行く。このシーズンのレッスンはこれで終わりだ。お菓子を持ち寄り、ゲーム「Jeopardy」などをして過ごす。参加者の方で梅を使ったゼリーを持ってこられた方がおられて、いただいたのだけれどアルコールを使っておられたことを知り、ぼくは「ごめんなさい! アルコール依存症なので……」と話した。「甘酒も飲めないのです」と語ると相手の方が驚いておられた。ゲームに興じた後、集合写真を撮り和やかな空気の中別れる。帰宅後、詩を清書したものをアップロードする。そしてその後、また谷川俊太郎を読んだりして過ごす……飽きっぽいのに凝り性になる、というこの矛盾した特性こそ発達障害。自分でもこの矛盾を説明できず損ばかりしている。それにしても、こうして詩を書き溜めて「その後」自分はどうしたいのか。いや、詩のブログが充実すればそれでいいとも思うのだけれど……食生活に気を使い、酒を抜いてウォーキングを始めたりして体力の維持に務める。そして、身体を健康体に保つ。そうすれば心も健康に保てるはず。そんなストイック(?)な毎日からこそ、「ぼくの詩」は生まれうる……何だかこう書いていくとまさに村上春樹の生活のようだ。あるいはもうぼくは「高齢者」の生活を始めてしまっているのかもしれない。