跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/31 BGM: BarbWalters - Love

今日は休みだった。月に1度の通院日である。朝、総合病院に行きそこで先生と会い、そして自分の状態を話す。もらう薬の内容も変わらず、先生と話すこともこれといって前進も後退もなく、つつがなく終わる。その後薬局で薬をもらい、そしてイオンに行きそこで沢木耕太郎『246』を読み終える。沢木耕太郎の文からはいつもジャズが聞こえてくるかのような印象を受けるのだけれど、今日は何だかジャズの気分でもなかったのでSpotifyからテキトーに"Future Funk"と題されたプレイリストの曲を聴く。実に「音のおもちゃ箱」といった趣のサウンドに浸る。スクリッティ・ポリッティのサンプリングが施された曲があるのが気に入り、今年の盛夏はこれを聴いて過ごすことになるかなと思った。1度しかない48歳の夏も、こうしてバカンスとは無縁に読書や仕事で過ぎていく。今年はたぶんそれらに加えて日々コツコツ詩作を続けたりもするのだろうけれど、なんにせよ実に地味な夏なのは変わりがないのだった。せめて読む本の内容を変えたいと思ったりする。またあのマルカム・ラウリー『火山の下』のような「粘っこい」「しつこい」本を読むべきか。それともあっさりした「淡白な」本……例えばリチャード・ブローティガンアメリカの鱒釣り』のような本を読むべきか。

昼食を摂り、その後朝に時間がなくて書けなかった昨日の日記を書く。それが終わった後、池澤夏樹『詩のなぐさめ』を読み始める。この本は彼が古今東西の詩集(シェイクスピア谷川俊太郎西脇順三郎や現代詩に至るまで)に触れて書いたエッセイ・批評で、読みながら彼が実に「アクティビスト」「行動派」の書き手であると唸らされる。いや、日本にはそうした書き手は珍しいものではないかもしれない。夏目漱石森鴎外二葉亭四迷の昔からそうして国境を超えて自在に移動する知識人は数多と居たはずだ。だが、彼の面白いところはそうして諸外国の文物を自在に取り込みながら劣等感・ルサンチマンを感じさせるネガティブなところが見当たらず、実にオープンマインドを保ち続けられているところだと思った。だからこそ、アメリカやヨーロッパといった国々の文化(敢えてイヤな言い方をしてしまうと「白人男性」が生み出したスマートな文化)のみならずもっとマイナーな国々の肥沃な文化にも目を向けられ、そこから謙虚に学べるのだろうと思う。彼の政治観・文学観には異論もあるが、その謙虚さとグルメなところは見習うべきだなとも思わされた。彼の作品『マシアス・ギリの失脚』『スティル・ライフ』を読み返すべきかもしれない。

その読書の後、詩を書き始める。書きながら、ぼくがやっているのは「詩作」というより「ポエムメイキング」だなと思った。たぶんぼくの書く詩は純金で作られたピュアなものではなく、プラスチック製というかチープなものだとも思う……そんなことを詩に書いてしまった。だが、そうしたチープな詩にはチープなりの味があると信じる。X(元Twitter)では『バービー』と『オッペンハイマー』の話題が喧しい。ぼくは深くその騒動について知らないのだけれど、深刻な出来事がミームという「やんちゃ」で「面白おかしい」表現技法に呑み込まれてしまう現象(むろん、ぼくはそうした一面的・暴力的な「面白さ」には懐疑的だが)について考えさせられる。ぼくの友だちも過去にヒトラーについてミームをぼくのDiscordのサーバに投稿したことがあって、ぼくは「いかがなものだろう」と異論を投げかけたことがあったのだけれど語弊を恐れずに言えばそうしてヒトラーミーム化・ネタ化してしまうことはすなわちナチへの有効な批判につながりうるのか、ならないのか……政治を「ミーム」にすることが「面白さ」至上主義だけに終わらない有益なメッセージにつながる、そんな地点を目指せないかと思った。

夜になり、何もする気が起きない。だが早寝するにも昼寝をしてしまったせいか目が冴えて眠れない。それで松浦寿輝『青天有月』を拾い読みする。そこで松浦寿輝が、西脇順三郎の詩集を携帯することの至福について書いているのを知る。ぼくは本はボリュームがあれば得した気分になると考えてしまう非常に貧乏性な人間で、だから分厚いフェルナンド・ペソア『不安の書』を好んで読み耽るのだけれど確かにそうして「ポータブル」な詩やエッセイの文庫本をカバンやポケットに入れて持ち歩き、さまざまな場所で読み返すことは面白いなと思った。ここのところぼくは沢木耕太郎『246』を持ち歩いていたのだけれど、宮澤賢治萩原朔太郎の詩集を持ち歩くのもいいのかな、と……前にも書いたけれど、自分にとっての「ソウルフード」「ホーム」になりうる本があればいいなと思った。そう考えていくとぼくにとってはリルケ『マルテの手記』がそうした本かなとも思う。いや、これから背伸びをしてディケンズコンラッド、フォークナーを読んでみるのも一種の「生きがい」につながりうるのかなとも思うのだけれど……そんなこんなで今日が終わる。明日から8月。盛夏・猛暑が続くが、秋の到来もこれに応じて早まるのだろうか?