跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/14 BGM: 高野寛 - BLUE PERIOD

今日は遅番だった。朝、図書館に行き渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』を借りる。そして西脇順三郎の詩集を同時に借りようかと思っていたのだけれど、ふと書架に斉藤倫『ポエトリー・ドッグス』という本があることに気づいた。タイトルから詩に関する本だと察したので、これも面白そうだと思い借りることにした。その後イオンのフードコートに行き、時間があったのでまたソネットを作ってみた。ふとこうして書いている詩を1冊のノートに書き溜めておきたくなったので、さっそくコクヨのノートを買った。そしてそのノートに詩を記録することに決めた。まだまだ「習作」でしかないけれどこれから傑作が書けるかもしれないと思い、あせらず日々の成長を楽しみたいと思った。ある意味、今はぼくにとっての「青の時代」かもしれないと思って……LINEで友だちに「読む本はどうやって見つけるんですか」と訊かれたのだけれど、実を言うと予約して本を借りることもあるのだけれど今日みたいにふと「不意打ち」で読みたいと思う本に出くわすこともあるのだった。だから図書館に行く時は事前にあまり深く考えず、つとめて頭の中を空っぽにして(ついでにカバンの中身も空っぽにして)訪れることにしている。

その後、村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』の続きを読み始める。実を言うとぼくはこの本についてどこか「ナメていた」ところがあった。彼がただ趣味のジョギング/マラソンについて書き流したライトなエッセイ集だろうと思っていたのだった。だが、読み進めるにつれてこれは侮れない本だと思うようになった。実に真摯に書かれたメモワールであり、彼が「走ること」を通して自分を見つめ直し自分なりの哲学を語り尽くした本だと受け取る。ふと、村上春樹も実は発達障害的な気質を持つ人ではなかろうかと考えるようになった。いや、これが村上春樹に対してこの上なく無礼な言い草であることくらいぼくにもわかっているつもりだ。ぼくは医師ではないし、彼と実際に会ったことすらない。彼の書いたものを読んだだけにすぎない。だが、彼のこだわりの強さというかある種「頑固一徹」な姿勢、自分のスタイルを守り続ける姿勢からそんな「気質」を感じるのだ。そして、「発達障害的な気質は、実は『誰もが』持っている」「定型発達者と発達障害者は『グラデーション』の上でつながっている」という今の常識に思い至るのだった。誰もがそうした「(発達障害的)気質を持っている。それがトラブルを起こしうるかどうか、それが問題だ」と。

だが(失礼な)暴論・憶測はこのくらいにしよう。春樹がその『走ることについて語るときに僕の語ること』の中でジョギングについて、彼自身も「走りたくない」「怠けたい」という気持ちと戦い続けてそして日々打ち克ち、どんな時でも歩かず走り続けることを選んでいることについてあらためて感服してしまった。高校生の頃のことを思い出す。その頃からぼくにとって春樹はヒーロー/カリスマだったのだけれど、当時はぼくはどこかで「そこまでして身体を鍛える必要があるのだろうか」とも思っていたはずだ。そして(若気の至りではあるにせよ)ウィリアム・バロウズチャールズ・ブコウスキーのような「ジャンキー」「酔いどれ詩人」の方にこそ憧れていたっけ。そして(こうして思い出していくといま一度「アホだったなあ」と思ってしまうのだけど)ある日ぼくにも「天啓」が訪れて傑作が書けるようになる日が来るとも思っていたのだった。ぼくも身体を鍛えようかと思い始める。歩いてみるのはどうか……そうして身体を鍛えて篤実に生きる。「天啓」が訪れるかどうかはわからない。訪れないまま終わる可能性も充分にありうる。それは外的要因だから。でも、ぼくが自分を鍛えるのはぼくの選択でできること。なら、やってみたい。

夜、仕事をこなす傍ら休み時間に朝に書いた詩を清書する。仕事をこなしたことが「冷却期間」になってくれたようで、読み返して「くだらないな」「もっとリズミカルにできないだろうか」と思った。春樹が行っているように、ラフに書きなぐってしまった詩の「ねじを締めていく」作業をこなす。そうしてリライト/推敲する作業を通して、詩が「締まりのある」「タイトな」ものになるのを発見するのが楽しい。いや、先にも書いたがあくまで今は「習作」でしかない。これから書き続ければぼくにとっての『吠える』(アレン・ギンズバーグ)のような詩集ができあがる可能性が見えてくる(もちろん「不発」で終わる可能性もある)。ぼくが書く詩が「売れる」か、「人気を博す」かはぼくにはどうしようもないことだ。だが、ぼく自身が書き続けることを選び、少しでもマシなものを書くべく努力することはぼくの努力/意志に属する。そうぼくは信じる。そして今日もぼくは酒を断ち、読書をこなして詩やこの日記を書く。ジョギングと創作を通して自分を常に高みに導こうとする春樹に倣って。書かない理由というか、怠ける理由は山ほどあるけれどそれでもぼくは書き続けたいと思う。でも、「そこまでして書く理由」が何なのかはぼくにもうまく説明できないのだけれど。