跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/05/05 BGM: Suede - Animal Nitrate

今日は休日だった。今朝は時間に余裕があり、ここ最近プライベートな心労もあってなにもしないことに決めていたのだけれど部屋の中にいても「行き詰まる」「息詰まる」だけなので(脳がジャムになりそうなので)、だから結局いつものごとくイオンにぶらっと行ってしまった。昨日から溜まっていたLINEの返事を返したりして過ごす。思い出したのは、若かりし頃ぼくが他人とコミュニケーションで苦労していた時期、結局論理的に考えて理詰めで相手を説き伏せればすべて解決する(というか、ねじ伏せられる)と錯覚したということだった。もちろんそんなことは「たわごと」「寝言」というもので、人は(もちろんぼくだってそうだが)感情で動く。それは人としてごく健全なことだ……とぼくは信じる。若かったんだなあ、と思う。感情の力をナメていたのだった。

過去、漱石気取りの表現をするが「情におぼれる」人の気持ちがわからず……でもぼくだってもちろん情におぼれて生きている。とりわけ、欲望に関してはつねにそうだ(過去にこの日記にも書いてきたが、おぞましい異性に関する妄想のことを考えている)。いま、わかってきたのはぼくはAIなんかではありはしないということで、つまりはたんなるあいまいさや愚鈍さをはらんだ動物にすぎない。だからそういう感情・情動に惹かれるのだろう。でも、そんなことについて誰ひとりとして教えてくれず、したがって内輪だけの毛づくろい的な会話から自分の欲に輪郭を与えることさえできなかったのだった。そうしたくだらないように見える「放談」「空談」の価値を思う。そうしたコミュニケーションからこそ、人は自分を確かめる契機を得られるのだと思う。

市のとあるビルで行われていた展覧を見に行き、その後時間もあったので古本屋に行くともなく行く。フロイトのアンソロジーの文庫本を見かけた。フロイトに関してはある知人が薦めてくださっていたので、これもなにかの縁と思い買ってしまう。フロイトを信じて、この欲や無意識と向き合うべきなのかもしれない。実はフロイトは読まず嫌いだったので、こうした古典を謙虚に読むのは決して悪いことではないはずだ。

午後、お寺に行く。そこで年長の友だちとお会いする。2時間ほどぼくの問題について話す。過去にその知人と会った際、ぼくは彼のコメントを常にメモすることにしていた。聞き漏らしたくない、と思って……でもどうせ読み返さないし、そうしてメモを取りつつ話すなんてこともできないので今日はぼくが思うがままに話すことに専念した。水が上から下に落ちるように、体裁を取り繕わず自由に。欲に取り憑かれて、女性に惹かれ続けることを話したのだった。

その方は信頼の置ける方で、だから過去にぼくは彼があらゆる煩悩や俗情から解放された、超俗とした境地におられると思いこんでいた。でも、その方がおっしゃるには彼もまたそうした欲を持って向き合っているということだ。つまり、「人間」なのだ。でもそうして認められることについて、やはりこの方は違うと唸った。抽象的なことを言えば、「先人」「先をゆく人」だと思った。ゆえに信頼できる。その後グループホームに戻り、別の友だちとLINEでこうした問題について話して終わった。