跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/01 BGM: Blankey Jet City - ダンデライオン

今日は遅番だった。朝、昨日のミーティングで話が出ていた若松英輔の本を読むべく図書館に行き、『詩と出会う 詩と生きる』を借りる。イオンに行き、フードコートでいつものように詩を書く。たぶんというかきっと、世界の終わる時が来ようとこんな風に自分は変わりなくルーティーンを守って1日を生きるのだろうなと思ってしまう。若松英輔の本を読み始めて、あらためてこの書き手の感受性の鋭さに触れて感服させられる。過去に若松英輔の本を読んだ時、ぼくはそんなにいい印象を持たなかったのを覚えている。いやもちろん質の高い、すごいことを考えている人だとは思ったのだけれど自分とは考えていることがらの位相/レイヤーが違うと思ってそのままになってしまっていたのだった。その読書はたぶん「時期尚早」だったのかもしれないと思った。その時はまだ詩に関心など持っておらず、あるいは若松が問題としているような「悲しみ」についてもぜんぜんわかっていなかったのだから。月並みな言い方になるけれど、それでもやはり本とは「出会うべき時」「ジャストタイミング」というのがあるのかもしれないと思った。そしてたぶん、いまが「その時」なのかな、と。

『詩と出会う 詩と生きる』を半分ほど読み、この書き手が見つめようとしているものについて思った。若松英輔は、表層にあるものにとらわれず本質を見つめよう/見抜こうとしているのではないかと思った。たとえばぼくがこの『詩と出会う 詩と生きる』を見る時(うまく言いたいことを頭の中で整理できていないまま書くので、抽象的なことがらを並べ立ててしまうけれど)、ぼくはただ1冊の本を見て終わる。だが、若松英輔はその本の背景や本に内在するもの(若松の言葉を借りれば「内なる宇宙の理」「コスモロジー」)までも読み取ろうとする。それと同じことがこの本で扱われている「詩」についても言える。若松英輔は「詩」について、もちろん単に「言葉の羅列」としてとらえるなんて野暮ったいことはしない。その「言葉の羅列」かもしれない「詩」の1つ1つとていねいに時間をかけて向き合い、そこから読み取りを開始する。これまたありふれた表現になるが、若松のスタンスはテクストとの対話であると思った。ちょうど村上春樹の小説作品で古い骨からそこに内在する夢を読み取る作業を行う人のように、あるものからその内奥にある何かを読み取る作業を根気強く、ねばり強く行っていると思ったのである。

そうした若松の非効率的なスローリーディングを重んじる姿勢は、必然的に彼が書くものにもにじみ出る。ひらたく言えば、彼の書くものは容易にスピーディーに読み飛ばせないということだ。ぼく自身、ついつい本を読み飛ばして感想を書きなぐるせっかちな悪癖があるのでそれを反省させられる。もっと若松の書くものとゆったり、余裕を持って向き合いそこから表層にあるものを「超えた」意味や本質を読み取らなければならないと思ってしまったのだ。いや、読書とはそもそもそうしたゆっくり読んで噛みしめるものだ(いまさら気づいたのか)という話なのかもしれないけれど……ともあれ、現段階の読書で読み取ったことを書いていくとそうした本を「消費」する読み方から「堪能」する読み方へとシフトすることを考えているということになった。テクストとの対話、あるいは若松が紹介するリルケが語るような自分自身の内奥を見つめる作業。それは決して自家中毒に陥るような自閉的な態度ではないだろう。自分を1個の他者と見なして、自分自身の異物性に敏感になること。それには率直にその目に映るものをつぶさに感じ取るおそろしい注意深さが必要となる。あるいは自分の見るものに嘘をつかない勇気も。

「自分に嘘をつかないこと」……きれいな言い方になってしまったけれど、そうした「いちいち自分をごまかさずに考え続けること」も考えてみれば「消費」至上主義的な生き方、「コスパ」を重視する生き方と比べれば分が悪い。いちいち「ぼくとは誰だろう」「人生とは何だろう」と考えることはどうしたって、生きる歩みや動きを止めることにつながるからだ。そんなくだらないこと考えないで仕事するなり勉強するなりして、社会に適応すれば幸せが保証される……そうした考え方が一方ではありうる。そして、それはまったくもって(イヤミでも何でもなく)いいことだとも思うのだけれどぼくのような根っからの「哲学病」(中島義道)の患者はそんな生き方ができないのである。だから生きづらいのかな、とも思う。なら、毒を以て毒を制すという言い方があるけれどぼくはぼくの持つこの「こじれた」「病理」を見つめてそこから何かを学ぶべく励むしかない。自分自身を実験台にして生きる……そのような感じでぼくはアルコール依存症発達障害買い物依存症とも向き合っているのだった……ああ、また話が脱線しておかしな方向に至ってしまった。まったくもって、この発達障害とは何なんだろうか。