跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/31 BGM: フィッシュマンズ - ナイトクルージング

今日は休みだった。朝、グループホームの施設長が来られた。その方の指導の下で部屋の本を片付ける。まだ朝なのにそれだけの作業で汗をかいてしまった。その後、ZOOMを立ち上げて英語関係のミーティングに参加する。今回のミーティングは期せずして「人生とは何だろう」「どう生きるか」という深い内容になった。ホストの方に「どうしてお酒を止められたのですか」と訊かれたので、「いえ、何度も止めようとしてうまくいかなくて、市の方から『断酒会に参加しませんか』と誘われたりして……」とたどたどしく話をした。「人生なんて無意味だ」「どう生きようが自分の勝手なのだ」と息巻いて酒に溺れていた日々を思うと、あの日々に欠けていたのはそうして「他人を迎え入れること」だったのかなとも思う。「どう生きようが勝手だ」という考えからはそんな「他人とともに生きる」(カッコよく言えば「共生する」)という姿勢が感じられない。あるのはただ自分勝手なエゴイズムだけだ。でも、あの頃は「1人で生きる」「誰にも頼らないで生きる」と必死だった……そして両親と一緒に暮らさないと経済面やその他の事情で成り立たない自分の生活をひどく恥じたのだった。「1人で生きなければ」というあせりと「でも、いまは両親に頼るしかない」という現実のはざまでもがいたことを思い出す。

昼、3時半から歯医者に行かなければならなかったのでそれまでの時間をモーマスヴォイジャー』を聴き返しながら詩を書き、終わると図書館で借りた詩集『詩の新世紀』を読んで過ごす。そして、上に書いたことについてふと、「思い込み」(難しく言えば「認知バイアス」)から逃れられなかった時のことを思い出した。あの呑まれていた日々、確かにぼくは「(できるだけ手っ取り早く、苦労せず汗もかかずに)稼ぐこと」「成功すること」「成り上がること」を夢見ていた……別の角度から言えば「金持ちになること」「デカい人間になること」という「物質的な成功」こそがすべてと思っていたということだ。いまはそんな考えを持っていないと自負している。いまは「ある意味では自分はもう成功している」とさえ思う。もちろんぜんぜん有名でもなければ金持ちでもないけれど、「確かに友だち/仲間に恵まれている」という意味において……でも、そんな風に考えが変わったいまになってみるとむしろ「あの頃、どうしてそんな『物質的な成功』『持つこと』が成功だと思い込んでいたのだろう」と不思議にさえ思い始めてしまったりもする。いくら金を持っていても孤独だったら。いくら所有していても、人とのかけがえのないつながりがなかったとしたら。そんなことを思った。

そう考えていくと、過去の自分とは実に「閉鎖系」というか「閉じた」人間だったなと思った。堅牢に自分だけの(たぶんに「他者とはわかりあえない」「独りよがりな」)美学だけを作り上げていたという。イメージとしては自分自身を(読んだことはないけれど、おそらく江戸川乱歩の「鏡地獄」みたいに)球体として磨き上げて、いっさい窓を持たない部屋の中で閉じこもっている感じだ。そんな部屋の中にいれば当然空気も淀む。下手をすれば空気自体「腐る」かもしれない。そうして閉じた姿勢では外の人間からのどんな思いやりに満ちた声も届かない……もちろんそうして外に向けて自分を開くこと、打ち解けていくことは「いいことばかり」ではありえない。悪意に満ちた人、あるいは悪意など持たずともふと誤解や無知から傷つける言動を行う人がこの世にはたくさんいることはぼくだってわかる。でも、そうして空気(というか自分自身)が「腐る」前に外と交流すること。それが大事なのかな、と思った。部屋の掃除が大事な理由だって、英語を学ぶ理由やぼくが本を読み続ける理由だって根っこは同じなのかなと思えてくる。自分に忠実に生きる、自立して生きると腹をくくることは裏返せばそうして自分だけの生き方に固執して「腐る」ことにならないか。それを見極める必要があるのかなとも思った。「窓は開けておくんだよ いい声聞こえそうさ」(フィッシュマンズ「ナイトクルージング」)という歌詞を思い出す。

夜、FacebookのMessengerを立ち上げてそしてミーティングに参加する。今回はぼくがプレゼンする番だったので「詩について」話す。どうして詩を書くようになったか、どんな詩を書いているかといったこと。井上陽水平沢進長田弘ルイス・キャロルといった書き手の詩についても触れていく。そこから、俳句や短歌(「おーいお茶」のラベルに書かれている作品など)について、若松英輔(だったと記憶している)のコメントについて、はたまた英語を学ぶ意義についてなど話は多岐にわたって展開していった。『現代詩手帖』や『神戸新聞』に自分の作品を投稿できないか、他の方のコメントから考え始めていく。ただ、そうなるとどうしたってブログなどであらかじめ発表したものではない「未発表作」を用意しないといけないわけで、いまの能力では1日1編作る以上のことができないかもしれない……閑話休題。聞いて下さった方のあたたかい反応に救われて、実に意義深い時間を過ごすことができたと思った(ありがとうございました)。いまの時点で50編ほど書けた計算になるので、それを読み返せば新しい発見があるかもしれないとも思い始めた。Kindleで発表することもできないだろうか?