跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/20 BGM: Fishmans - いかれたBaby

今日は遅番だった。朝、いつもとは違う時間の過ごし方を試してみたいと思ったのでYouTubeのビデオで面白いものがないかどうか探してみたいと思い、たわむれにTEDをチェックする。そこで「Birds Aren't Real」という内容のビデオを見つけて、それが興味深かったので見てしまう。陰謀論について語られたものだが、1度しか観られていないので(日本語の字幕がなかったこともあって)十全に理解できたとは言いがたい。ただ、ぼくの理解によればこれは「違う世界に住む人(つまり、陰謀論に染まった人)」とどう共生していくかを問うていく話だと思った。ぼくの知っている人でもコロナワクチンについて「あれは政府の陰謀だ」「コロナワクチンで早死するリスクが高まる」といった説を信じている人もいたりして、もちろんそれを嗤うことは簡単ではあるのだけれどかくいうぼく自身も過去に「コロナは大したことないウィルスだ(インフルエンザの方が危険だ)」というあやしげな風説を信じ込んでいたので、だからぼく自身の理解力・洞察力も大したことないと思っている。言い換えれば、ぼくの知性・知能にも自ずと限界がある。その限界を踏まえてどう世界を理解するべく試みるか。それが問われている深い動画のようにも思ったのだった。いや、もっと観直さないといけないのだけれど。

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それで、その動画を観終えたあとイオンに行き、そこでまた詩作と考えごとをする。グループホームの施設長の方からLINEが届き、そこで次のコロナワクチンの接種について訊かれる。これについて、ぼくは「今度はもう打たない方向でお願いします」と答える。身体に負担をかけてまでコロナワクチンを打つメリットを見い出せないから、というのが理由である。ただ、もちろんコロナはまだ終わっていないとも思う。ぼくの知る方にもコロナに罹患する人がいて、彼らの闘病について聞かせてもらうと油断はならないなとも思ってしまったのだった。そのことをWhatsAppやMeWeなどで友だちに話す。すると日本のコロナ対策はどうなっているかという話になったので、ぼくは「まだコロナ禍は終わっていないみたいだけど、インフルエンザと同じような『前よりは危険ではない』という扱いになりつつあるみたいで……」といったことを(例によってたどたどしい英語で)伝える。ああ、こうして英語で海外の友だちと語らうと新鮮な発見がある。いや、だからといって「海外ではこんな感じで……」と何でもかんでも「出羽守」になるのも考えものではあるのだけれど。ともあれ、そんな感じでいろいろ学ばせてもらった。

こうした「ワクチンを打つ/打たない」に関して、くどくなるけれどぼくは正解を持たない。正解のない問いならこの世に山ほどある。「この仕事を続けていれば幸せになれるのか/なれないのか」といったことや「酒抜きの人生は幸せなのか幸せじゃないのか」といったことなど。そうした局面においてぼくが「暫定的に(つまり『現時点でとりあえず』)」結論を出すとするならそれはやっぱり理屈ではなく「直感」「勘」で決めているとしか言いようがないのだった。と書くと何だか難しいことを言っているようだが、少なくともぼくの主観から言えばそんな難しいことを言っているつもりはない。何となく、ホリエモン的に言えば「ノリ」で決めるということ。たとえばぼくはclubhouseを使い始めたのも「ノリ」「勘」が原動力だった。Discordを使っているのだって、発達障害を考えるミーティングに行くのも断酒会もぜんぶ「フィーリング」の問題だ。ある程度まで考えを煮詰めたら、あとはともかく「勘」を信じて考えるのをいったん棚上げして動いてみる。そうして、「出たとこ勝負」「やけっぱち」で動くことも大事なのかもしれないな、と思う。部屋の中でじっと考えを煮詰めて孤独と向き合う時間ももちろん大事だろう。だが、ぼくの生き方には合わないみたいだ。休憩時間、こんな記事が目を引いた。ギフテッドと呼ばれる女性に関する記事だ。そこで語られている「賢さゆえの生きづらさ」について、ぼく自身のことを考えた。前にWAISを受けた時、そこで出た結果からぼくは自分はギフテッドと呼ぶには能力が低いということを知った。だけどそんなボンクラなぼくも、過去に「自分としては正しいこと」「理屈にかなったこと」を言っているつもりなのに相手が聞いてくれなかったり笑われたりしたことを思い出してしまった。それはいま思えばまったくもって不思議なことではない。言葉には「文字通りの意味を伝える」と「言葉の裏を読ませる」といった2つの側面がありうるし、あるいは「頭で納得させる」だけがコミュニケーションではなく「感情に訴えかける」ことも大事だからだ。過去、それがぜんぜんわからず苦労して「言葉で言い負かせば相手を支配できる」と躍起になったことがあったなあ、と思った……そんなことを考え、自分が英語で話したり考えたりするのも英語のロジカルな側面と関係があるということかなと思ったりした(もっとも、ぼくは日本人でもロジカルに考えたり書いたりすることは十分可能だと思っている)。
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