跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/08 BGM: Speech - Ask Somebody Who Ain't (If You Think The System's Workin' ...)

思い出す……今から15年前の今日、この国で痛ましい事件が起きた。秋葉原通り魔事件だ。Discordでそのことを知って、改めてそうした事件が起きた背景について考える。もちろんぼくは殺人を肯定するつもりはまったくもってない。ただ、大げさかもしれないけれどぼくだって一歩間違っていればその犯人のようになっていたはずだ。いや、そう確信さえする。もしかしたら、過去のトラウマや今の劣等感を自分の中で消化したり乗り越えたりすることもできずにくすぶらせ続けて生きていたかもしれない。ぼくは今でも自分の中で、この世の中に確かな憎悪を煮えたぎらせて生きていた時期のことを生々しく思い出せる。世の中のあらゆる人が幸せな人生、あるいは自分よりもずっと裕福な人生を送っているように思われて、そこから「どうして自分だけがいじめに遭ったり、こんなどん詰まりのような町で生きたりしなければならないんだ」と考えてしまったりしたっけ。みだりに殺人犯の心理をわかったつもりになるのは端的にはしたないことではある。ぼく自身、そうして動機を「わかること」(あるいは「わかろうと試みること」)と、そこから「実際に人を殺めること」の間にある距離について考えてしまう。

いつも書いていることだけど、ぼくはコロナ禍が始まった頃から(だから、具体的には今から3年ほど前から)英語でメモを書き始めるようになった。これは少しでも英語の練習にならないかと思って始めたことなのだけれど、今はかなりスムーズに英語が出てくるようになったと感じられて、「継続は力なり」という言葉の意味について改めて考えさせられてしまった。そして、そうして英語を学び続けることで自分の中で何が変わり続けているのかについても考えてしまった。ぼくの好きな映画『メッセージ』を思い出す。地球外知的生命体(俗に言う「エイリアン」だ)の言葉を解読することを試みる言語学者が、その読み解きの過程で否応なしに世界の認識のあり方を変化させられるという内容だったと記憶している。英語を学ぶことはぼくにとって、そうして「自分が依拠しているこの思考回路自体がドラスティックに変わってしまう」ことを意味する。でも、ぼくは果たして変わり続けているだろうか……前に向かって進めていればいいと思う。もっとも、この日記では確かにぼくは「十年一日」で同じことを書き続けているように思うけれど。

午前中、Facebookを通じてZOOMでの英会話関係のミーティングに参加する。そこでインドのメンバーから英語を教わる。話題はぼくの母語である日本語の話になり、そのメンバーが学んでいる日本語がネイティブのぼくたちから見てもいかに繊細で難しいかという話になった。そこから日本語と英語の違いについて話に花が咲き、そしてぼくや他のメンバーの個人的なことがら(どこに住んでいるか、仕事は何をしているか)で盛り上がる。ホストの方もぼくのことを気にかけて下さって、その心遣いに感謝する。ぼくが「海外に行くとしたら、アメリカやイギリスに興味があります」と言うとそのインドの方から「インドもいいところですよ!」とおっしゃったので、ついついぼく自身が乏しい認識で「西洋」「ヨーロッパ」だけを海外と見なしていたことを反省してしまった。思えばインドについてぼくの中には何の知識もない。辛うじて知っていた、これまたぼくの好きな映画である『スラムドッグ・ミリオネア』の話をしたらよかっただろうかと思ってしまった(もっともこの映画が描くインドは紋切り型だという批判もあるようだけれど)。

夜、ZOOMで友だちとミーティングを楽しむ。春頃にこの町で行われた選挙の話から政治の話になり、あとはざっくばらんに雑談としてぼくが通う英会話教室や他のメンバーが参加する考古学関係のイベントの話をする。その後clubhouseで友だちが開いたルームに入り、先に書いた英語のメモの習慣の話をする……なんともまあ! ここ最近、こんなふうに英語関係のアクティビティが充実してきているのを感じる。とはいえぼくはただちに「英語は日本語よりクールだ」「英語こそ至上」と考えたくない。巷では「英語は単純な言語だから抽象的な思考能力を養えない」「いや、日本語こそ非論理的な言語だ」なんて極論が飛び交っているみたいが、ぼくはそんな言葉を信じたくない。ぼくはぼくなりに言葉を誠実に学んで、できるだけねばり強くていねいに考え続けたいと思っている……と書いて、なんだか我ながら「まじめすぎる」とも思ってしまった。軽やかに言葉を越境していくエンターテイメント精神、もっと言えば「道化師に徹すること」が必要なのかなとも思う。例えば、それこそ現在人気をかっさらっているとにかく明るい安村のように。