跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/22 BGM: Faye Wong - 夢中人

今日は休みだった。とはいえあいにくの雨模様だったので二度寝をしたりしてウダウダ過ごしてしまう。その後10時半にZOOMを立ち上げて英語関係のミーティングに参加する。今日は「get along with(○○とやっていく)」や「be far from(○○からはほど遠い)」といった言葉を使って例文を作るという内容だった。ぼくはふと、「Russia has to get along with Ukraine(ロシアはウクライナと何はともあれやっていかなくてはならない)」といった内容の例文を作ってしまう。我ながら実に「ヤバい」「アブない」内容だと思って赤面してしまったのだけれど、それでも他の方からは暖かく受け容れてもらえたのでありがたかった。「I'm far from bilingual(バイリンガルにはほど遠い)」といった文を作ってみたり……その後インドから参加されている方から「ミリオネア・マインド」について教わったりして、実に濃い時間を過ごせた。その後図書館に行く。ぼくの目当てだったのは藤本和子の『塩を食う女たち』と『リチャード・ブローティガン』だったのだけれど、新刊書籍のコーナーにカレン・チャン『わたしの香港』があるのを知り、勘に従って借りてしまった。

邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』を読み終える。実に「具だくさん」な1冊と唸ってしまった。それでいて「盛りすぎ」なところがなくそつなくまとまっているのだからすばらしい。今回読んだところではカート・ヴォネガットの和訳の話題に惹かれるものを感じた。ヴォネガットが日本でどう受容されてきたか……ぼくは恥ずかしながらヴォネガットを読んだことがないので、この機会に読みたいと思い図書館のサイトで短編集を予約してみる。そして、日本でヴォネガットを広めた浅倉久志のような翻訳者の活動を知るにつけ、ぼく自身が翻訳者にならなかった(なれなかった)のはもっともなことだったのかもしれないなと思った。翻訳とは、ただ英語を日本語に機械的に置き換えればいいというものではないからだ。著者のバックグラウンドや書かれた作品の文化背景を知った上で、1つ1つの文がどういう文脈に置かれているのか考え抜いてそれを訳文に置き換えていかなくてはならない。実に繊細な作業を必要とするのだ……そんな簡単と言えば簡単な、でも大事な事実をこの本から学んだ。

ロシアの方からいただいていた発達障害に関する質問事項について、改めてぼく自身の手で日本語に翻訳する。もちろん上に書いたようなことを踏まえればぼくの和訳なんてぜんぜん大したものではない。誤読・誤訳の可能性は常につきまとう……ふと、どのようにして自分は発達障害とうまく折り合いをつけてきたかを考えた。ぼくにとって大きかったのは結局今参加させてもらっている自助グループだ。そこに参加し始めたことで、ぼくはこの小さな町にも発達障害で悩む人たちがいることを知ったのだった。その人たちとさまざまな活動を通していろんなことを学んだ……このミーティングにその方をお招きできるかどうかまだわからない。また、ロシアの発達障害者の生活の中に無理やりぼくたちのライフハックを押し込むのがいいことなのかどうかもわからない。でも、ぼくは(いつもながら勘に従って)ぼくたちが学んだことはその方の役に少しばかりであっても立ちうると判断する。それをシェアする夢を叶えるべく、ぼくももっとハードワークをこなす必要がある。

夜にまたZOOMを立ち上げる。そしてミーティングに参加する。こちらのミーティングではメンバーが門司港に住んでいた時の話をシェアしてもらった。その後、朝借りてきたカレン・チャンの本を読み始める。ぼく自身は香港のことについて何も知らない。いやもちろん、昨今民主化の動きが激しかったというのは聞いていた(雨傘運動が思い浮かぶ)。そうした動きに彼我の違いを思ったことを思い出す……ぼくは海外に行ったことがないので、もし行けるとしたらどこに行こうか考えてしまう。どこでもドアがあったとしたら……といった話を今朝のミーティングでもしたことを思い出す。ドラえもんがいたら。ならぼくは、そのどこでもドアで香港やロシアに行って友だちにお会いしたいとも思う。東京にも行きたいし……ぼくがそんなふうに宍粟市に引きこもって暮らしているのは単にカネがないからなのだけれど、仮に2ヶ月くらい固まった休みをもらえたらどこかに滞在してみようかと考えてしまう。どこに行こう?